世界最初の放送局をめぐる話KDKA開設100周年によせて        <HOME>  update:2021/01/18

1.KDKA開設100周年

 昨年2020年11月2日は、アメリカの中波商業放送局KDKAの放送開始100周年の記念日であった。KDKAは、ウォレン・ハーディング(共和党)とジェイムズ・コックス(民主党)が争ったアメリカ大統領選挙結果の報道を契機に設立された、バージニア州ウエストピッツバーグに工場を持つウェスチングハウス(Westinghouse Electric and Manufacturing Company)が設立した放送局である。選挙当時はアマチュアの特別許可免許のコールサイン8ZZを使用し、波長550m(周波数545kHz)で放送されたが、数日後にKDKAに切り替えられたとある。ウェスチングハウスは自社製作のラジオセットを売り込むため、放送を提供する放送局の充実に力を入れた。その後は330m(909kHz)で毎日1時間の放送が行われるようになった。アメリカでは1921年12月1日に商務省が一般向け放送に360m(833kHz)での放送を義務づけ、KDKAもこれにならった。この状態は1923年5月15日に商務省が放送に広い周波数帯域(550〜1350kHz)を割り当てるまで続いた。つまり、当時は単一の周波数で放送が行われており、広い国土とはいえ約400局ほどの放送局がひしめいていたのである。

図1 9階ビル屋上のKDKAの送信室

 当時のKDKAの送信設備をみてみよう。送信機はF.ConradとD.G.Littleが製作した100Wの真空管式であった。アンテナは、ウェスチングハウスのウエストピッツバーグ工場の9階建てビルの屋上にパイプを立て、これと煉瓦煙突との間90フィート(27m)に6本の線を渡している。地上高は210フィート(64m)であった。このビルの屋上に送信室が設けられた。「現時歐米(英佛獨米)に於ける無線電信電話概況」(以下、文献1と略)には、「KDKA局では送信管としては500wattのもの二個と、Modulatorとしては同型のもの三個を使用し、尚ほ、MicrophoneとModulatorとの間に擴大装置として5wattsの眞空管を6個、25wattsのもの1個とを使用してゐるやうであつた。」とある。
 1922年4月16日付の「Radio Broadcasting News」にKDKAのプログラムが掲載されており、日曜日は11:00〜20:00(?)、土曜日は15:00〜22:00、平日は20:00〜22:00となっている(放送終了時間は文献1によった)。平日の番組のほとんどは音楽で"Vocal and Instrument Selections"や"Entertainment"などの番組名が見られる。木曜日にある"A novel entertainment"は朗読であろうか。日曜日にはうってかわったように"Children's Bible Stories"や"Radio Chapel at Station KDKA"など宗教色の強い番組が放送されている。

2.世界最初の商業放送局KDKA
 日本では、KDKAは世界最初の商業放送局として知られている。いくつか例を挙げよう。文献1によれば、米国のBroadcasting Stationの現況を説明した後、「上記の放送のうち、KDKA局は米國に於ける最初のBroadcasting Stationであるが」としている。また、『無線百話』では「アメリカでは、1920年に世界初の商業ラジオ放送局KDKA局がピッツバーグに開局し」とある。他の書籍についてもおおむねこれらと同様で、私自身も今までずっとそう思っていた。ところが、今回KDKAの資料をさがしていくうちに、世界最初の商業放送局という称号は、確定しているわけではないことがわかった。
 D.L.Halperの論文"When Broadcasting Really Began Refuting the KDKA Myth"(放送が本当にKDKA神話に反駁しはじめた時)は、1912年頃にカリフォルニア州の"Doc"Herroldが音声と音楽の放送を行ったこととか、ミシガン州の8MK(現WWJ)局が1920年夏には音楽やニュースを放送していたことや、マサチューセッツ州の1XE(のちにWGI)局が1916年の早い時期に船舶に向けた音楽放送を行っていたなどを挙げている。また、KDKAが成功したのは、ウェスチングハウスの豊富な資金により「神話」が作り上げられ、これがG.Archerの"History of Radio to 1926"に掲載されたことが大きかったとする。
 Wikipediaの"History of Radio Broadcasting"には、"Licensed commercial public radio stations"の章があり、どの局が最初かというのは"has more than one answer and depends on semantics.(複数の答えがあり意味論に依る)"としている。ここには以下のような局が紹介されている。

○Doc Herroldの局KQW
 大学教授でエンジニアでもあるCharls Herroldは、1912年頃に毎週水曜日の夜に音声と音楽の放送を行った。Wikipediaの"History of Broadcasting"には、HerroldがカリフォルニアSan JoseのHerrold Schoolから1909年4月に"San Jose Calling"というIDで放送を開始したとある。Halperの論文に掲載された写真には、Herroldと思われる人物が電信キーを叩いている様子がみられる。これは放送とはいえないだろう。

図2 Doc HerroldとRay Newby(1909-10)

○1XE(のちにWGI)

 1XEは、マサチューセッツMedfordでH.J.Powerにより設立され、1916年の初期に船舶に向けて週1回音楽を放送した。Wikipediaの"Radio Broadcasting"によれば、1XEは1917年に放送を開始した実験局で、第1次大戦中に停波し、1919年に定期放送を再開したとある。1922年にWGIとなり、その後資金が続かず1925年春に廃局した。

○2XG
 三極管を発明したド・フォレストがニューヨーク市Highbridge区で立ち上げた2XGは、1916年から毎日放送を始めた。しかし第1次大戦のため停波を余儀なくされ、その後復帰することはなかった。
図3 2XG局
○WWV

 WWVはNPLの時報局だが、KDKAに先立つ6ヶ月前にワシントンD.C.から放送を行っていた。『無線百話』には「アメリカの国立標準局は、1920年5月から実験放送として、ワシントン市の周辺に向け数ヶ月の間音楽などを放送した。コールサインはWWV、周波数600kHz、電力50Wであった。これが放送の初めともいえるが、電波による商業放送としては、1920年11月2日に電波を発射したピッツバーグのKDKA局が初めてである」とある。

○8MK(現WWJ)
 8MKは、M.D.Lyonsが許可を受け、E.W.Scrippsが資金提供をしていた局で、1920年8月下旬には放送が行われていた。1921年にWBLとなり、翌1922年にWWJとなった。音楽だけでなく、ニュースやミシガン州選挙の票数なども放送し、後にはKDKAと同様に大統領選挙の結果を放送した。

 最初に一般向けに電波を出したという点でいえば、1906年にR.Fessendenが音声と音楽を送信した草分け的存在だとWikipediaの"History of Broadcasting"にある。これについて『無線百話』には「アメリカのフェッセンデンは、マサチューセッツ州のブラントロックにあった高周波発電機式送信機を使って、1906年のクリスマスイブに世界で初めて無線放送を行った。」とある。当時は、火花放電を連続的に行うアーク式送信機や高周波発電機が開発され、送信周波数を上げれば変調して音声をのせることができたようだ。
 一方、最初に商業ライセンスを受けた最初の放送局は、WBZ(Spring Field,MA)で1921年9月15日のことであった。KDKAは同じウェスチングハウスの局であるWJZ(Newark,NJ)と共に11月7日にライセンスを受けている。先の"Radio Broadcasting"では、KDKAが生き残ったのは、WBZとWJZがライセンスを受けた都市に残っていなかったためとしている。

3.おわりに
 このように世界最初の放送局はどこかという問題は、どの側面を切り取るかで違った答えとなる。これと似た構図は、「最初のコンピュータ(電子計算機)はどれか?」という問いの答えの時に経験したことであった。私たちはENIACが最初のコンピュータと聞かされてきたが、現在はABC(Atanasoff-Berry Computer)マシンだということが確定している(裁判で決着がついた)。この問いも、最初のノイマン型コンピュータとなればEDSACということになるし、いくつもの答えがある。
 ともあれKDKAが現在も生誕の地ピッツバーグで放送を継続していることは驚きでもあり、また嬉しいことでもある。日本では、中波民間放送の廃止がとりざたされているが、レガシーを残して欲しいものである。KDKAはアメリカの東側にあるため、日本での受信は困難だが、コロナが落ち着いて、アメリカ東部に旅行される方がいたら、ぜひ受信して見て欲しい。ちなみに周波数は1020kHz、FM100.1MHzである。

図4 1928年頃のKDKAのQSLカード


【参考】(ウェブページは2020年12月28日最終確認)

・山本勇「現時歐米(英佛獨米)に於ける無線電信電話概況」、『電氣学會雑誌』、大正11年11月。山本は1920年3月〜1922年3月まで欧米諸国に滞在した。
 https://www.jstage.jst.go.jp/article/ieejjournal1888/43/417/43_417_324/_article/-char/ja/
・無線百話出版委員会編『無線百話』、クリエイト・クルーズ、1997年7月。マルコーニによる無線通信発明百周年記念として「無線通信発明百周年記念行事実行委員会」が編纂した書籍。
・Wikipedia"KDKA(AM)" https://en.wikipedia.org/wiki/KDKA_(AM)
・Wikipedia"History of broadcasting"
・Wikipedia"History of Radio"
・Donna L.Halper"When Broadcasting Really Began Refuting the KDKA Myth(Again)"
 https://www.thebdr.net/when-broadcasting-really-began-refuting-the-kdka-myth-again/
・"Radio Broadcasting News"April 16,1922 https://worldradiohistory.com/Archive-Radio-Broadcasting-News/Radio-Broadcasting-News-1922-04-16.pdf 
・"It Started Hear"KDKA promotional pamphlet、1970 https://worldradiohistory.com/Archive-Station-Albums/It-Started-Hear-KDKA.pdf

【図版】
図1:Wikipedia"KDKA(AM)"
図2:"When Broadcasting Really Began Refuting the KDKA Myth(Again)"
図3:Wikipedia"History of broadcasting"
図4:http://hamgallery.com/qsl/country/USA/Pennsylvania/kdka.htm

(OG)

 
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