戦前のNHKラジオ放送局の周波数変更 
<HOME>  update:2015/12/28

1.はじめに
 会報NO.420(2015年6月号)で民間ラジオ局の認可に伴う1951年の大規模な周波数変更について取り上げたが、今回は戦前の周波数変更について取り上げてみたい。
 NHK出版局から発行されている『NHK年鑑』は、1931(昭和6)年から発行され、当時は『ラヂオ年鑑』と称していた。京都府立図書館には昭和10年からのものがあるだけで、それ以前のものは国会図書館に行かないと見られないものとあきらめていた。ところがひょんなことから戦前の『ラヂオ年鑑』がディジタルライブラリとして自由に閲覧できることを知り、戦前の分について調べていたところ、戦前の放送もかなりの頻度で周波数が変更されていることがわかった。

2.東京・大阪・名古屋
 日本の放送が東京・大阪・名古屋の3ヶ所から始まったことはよく知られたことであり、東京が「一番」を意識して1925(大正14)年3月22日に仮局舎から第一声を発したことも知られたエピソードである。愛宕山の本局舎からの放送は5ヶ月後の7月12日であった。大阪は1925(大正14)年6月1日、名古屋は同年7月15日から放送を開始した。このあたりの事情について『昭和6年ラヂオ年鑑』には「東京放送局創立事情 略史 経営業績一般」「大阪放送局創立事情 略史 大阪放送局業績一般」「名古屋放送局創立事情 略史 経営業績一般」にページをさいているが、この3局がいったい何kHzの周波数で初放送を行ったのかという記述はない。そこでこの点について記述があるものをさがしたところ『無線百話』に記述があった。参照資料が不明なのだが、とりあえずはこれを基に考えていきたい。

3.『ラヂオ年鑑』・『ラジオ年鑑』
 『ラヂオ年鑑』は1931(昭和6)年を初刊として1941(昭和16)年まで発行された。1942(昭和17)年からは『ラジオ年鑑』と改称したが、戦争の影響からか1944(昭和19)年〜1945(昭和20)年は発行されていない。ディジタルライブラリには1939(昭和14)年のものはない。
 ラジオ放送開始の1925年から『ラヂオ年鑑』発行の1931年までの間については、送信周波数のことに関する記述がないので不明である。以下、1931年から1943年までの『年鑑』について調べてみた結果を表1に示す。年号はその年の『年鑑』に書かれていたという意味で、開設・変更年を示すものではない。年によっては日本国内以外の地域の放送についても言及しているが、今回は日本国内に限定して示す。表は放送開始時期順とした。

4.再び東京・大阪・名古屋
 社団法人として発足した3放送局は、翌年8月に政府命令で合併させられ、(社)日本放送協会が発足した。協会は、逓信省から要請された「5年以内に全国どこでも鉱石受信機でラジオを聞くことができる」ために5カ年計画を進め、3局の10kWへの増強と札幌・熊本・仙台・広島に放送局を開設することとした。
 東京放送局は、当初(1925)の800kHzから470kHz(1931)と変わり、1932年には第2放送の開始に伴い870kHz(第1放送)、590kHz(第2放送)へと変更になった。1937年には第1放送と第2放送の周波数が入れ換えとなった。第1放送の590kHzはその後、1978年の9kHz移行時まで維持された。
 大阪放送局は、779kHzから750kHz(1931)と変わり、1933年に第2放送が1085kHzで開始する。1937年には第1放送が690kHzに、第2放送が940kHzに変わった。
 名古屋放送局は、833kHzから810kHz(1931)と変わり、1933年に第2放送が1175kHzで開始する。1937年には第1放送が730kHzに、第2放送が990kHzに変わった。
 戦前の放送使用周波数をみると、ほとんどの放送は1100kHz以下の周波数が使われている。これは当時のラジオ受信機の性能が悪く、高い周波数には同調できないことや高い周波数では感度が悪い等の理由のためと思われる。ただ1931年の東京放送の470kHzは、ITU協定の放送バンドからはずれていることから、おそらく870kHzの誤植ではないかと推察される。また、1936年までは末尾が5kHzという周波数も使用されていたが、1937年の大改革で10kHz間隔に統一された。

 表1 戦前のNHKラジオ放送の周波数変更


(OG)

 
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