<HOME> update:2016/04/25 |
1.はじめに 敗戦で連合軍の進駐を受けた日本には、1951年まで進駐軍のための放送が設置された。この進駐軍放送のことを調べている過程で、戦後まもなくのNHK放送は、進駐軍放送のためにかなり頻繁に周波数の変更を行っていたことがわかった。以下の資料は、「AFRS進駐軍放送」というウェブサイトに掲載されているアメリカ国立公文書館公開の資料をもとに作成した。 2.太平洋戦争中の電波管制 1941年12月8日、日本はアメリカ、イギリスと戦争を開始した。これに伴い、ラジオ放送も戦時体制に入り、電波管制が行われた。12月8日には東京(JOAK)、大阪(JOBK)、名古屋(JOCK)で実施されていた都市放送(第2放送)が中止され、9日には全国の放送局の周波数をすべて860kHzに統一し、昼間は主要放送局の出力を、夜間は全放送局の出力を500W以下とした。これは、電波送出による放送局の位置の確定を防ぎ、かつ敵機が電波受信で自分の位置を確定させないための措置であった。ところが、全国統一周波数での放送は、夜間相互に干渉しあい、放送が聞こえない地域が生じて問題となった。そこで12月25日からは、群別放送が開始された。群別放送とは、全国の放送局を5つの群に分け、夜間のみ各群ごとの異なる周波数で放送を行うようにしたものである。それでも放送が聴取不能な地域のためには臨時放送所を設置した。敗戦までに47ヶ所に設けられ、出力は50Wであった。 3.敗戦直後のNHK放送 1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し、無条件降伏した。連合軍は、まず8月28日、先遣隊150名が厚木飛行場に上陸、8月30日には連合国最高司令官マッカーサーが厚木飛行場に降り立った。翌31日には日本放送協会に対し、アメリカ本国向け及び進駐軍向けのために放送施設を提供するよう口頭命令があった。 ところで進駐軍はGHQという略称で呼ばれるが、正しくは敗戦後から945年10月1日まではGHQ/AFPAC(アメリカ太平洋陸軍総司令部)で、10月2日以降はGHQ/SCAP(連合軍最高司令官総司令部)である。どちらもマッカーサーが最高司令官なのだが、10月2日以降、AFPACはSCAPの下部組織となったのである。 9月1日、戦前の電波管制が解除され、各放送局の周波数を元の周波数に戻し、第二放送も夜間のみであるが復活した。これには、戦時中の少ない占有周波数のままで連合軍の管理下に入ると、進駐軍放送に自由に放送周波数を使われてしまう恐れがあるため、既得権を確保するという目的もあったようだ。 9月13日には、アメリカ太平洋陸軍総司令部通信長室の計画運用課が、進駐軍放送実現のために逓信院、日本放送協会から各地の放送施設の状況説明を受けた。この会議に提出された周波数一覧を表1に示す。右に、『昭和18年ラヂオ年鑑』に掲載された戦前の放送周波数を記した。中心的な局の周波数はほぼ戦前と同一だが、異なるものもある(表中に太文字で示してある)ので、完全に戦前の状態に戻したわけではないようだ。表で盛岡放送局の周波数が空白なのは、リストになかったためである。また、*印の局は計画中または建設中であることを示す。 9月1日の電波管制解除でスタートした第2放送だったが、進駐軍放送のために第2放送の施設の提供が求められたのである。東京(870kHz)、大阪(940kHz)、名古屋(990kHz)がこれにあたる。ところが、1945年9月23日に開始された東京のAFRS(Armed Forces Radio Service)放送では、第1放送の周波数590kHzが使用されていた。これはアメリカ太平洋軍総司令部の命令だといわれる。このため東京放送局は第2放送の870kHzを第1放送にし、1260kHzを第2放送に使用することにした。9月23日には日本の7都市(東京、大阪、名古屋、札幌、仙台、広島、熊本)で開始した。 表1 4.US AFPACの計画 敗戦前後のNHK局の周波数については、当時開設された進駐軍放送と密接な関係がある。今回は、その進駐軍放送(AFRS放送)について触れることとしたい。 日本を占領したのは米太平洋陸軍US AFPACで、東日本エリアは第8軍が、西日本は第6軍が担当した。放送についてはNHKも含め連合国最高司令官総司令部GHQ/SCAPの民間通信局CCSが管轄していた。 最初にAFRS放送に関する計画が示されたのは、US AFPACの計画運用課P&Oからで、1945年9月20日のことであった。まずAFRS放送は日本の放送と競合すべきでないという基本方針が示され、各地のNHK局の現状が示された。さらに具体的な計画として、@小室短波受信所でアメリカからの素材を受け、それを放送する、A06:30-08:30、11:00-14:00、16:30-23:00に放送する、B東京・大阪・熊本・仙台・札幌・京城の第2放送施設を使ってAFRS放送を行う、C佐世保・八幡・青森では自前の放送施設を設置する、が示された。 5.開局は何局? この計画にもとづいて、1945年9月23日、東京、大阪、名古屋でAFRS局が開局した。ただし、東京では第2放送の870kHzではなく、第1放送590kHzの拠出が求められた。第2放送周波数の拠出のため、はじまったばかりの第2放送は周波数の変更を余儀なくされた。東京(870→1260kHz)、大阪(940→1310kHz)、名古屋(990→1340kHz)である。この日の開局については諸説あり、US AFPACの発表では"東京・大阪・名古屋・熊本・広島・仙台・札幌"の7局としているし、1945年10月8日のP&Oと逓信院、NHKとの合同会議資料では"東京・大阪・名古屋・熊本"の4局が"in operation"の表記になっており、"仙台・札幌・広島"は"installed"の表記になっている。また、『ラジオ年鑑1951年版』には"東京・大阪・名古屋・仙台"の4局が1945.9.23を開局日としている。実際のところは不明だが、共通した"東京・大阪・名古屋"の開局は確実だと思われる。 6.短波による中継 さて、US AFPACは日本国内に同一の放送を供給するために、NHK放送の有線通信網の活用を考えていたが、空襲による被害で放送網は寸断され、使用できる状態ではなかったようだ。そこでAFRS放送は、東京(WVTR)で制作した番組を多摩送信所(JLG4、7552.5kHz、20kW)と名崎送信所(JLP、9605kHz、20kW)から短波の中継回線を使って各地のAFRSに送った。 1945年10月22日時点での国内放送局リストがCCSから示された。これによると、AFRS局の現状は、東京(WVTR、590kHz、10kW)、大阪(WVTQ、1310kHz、10kW)、名古屋(WVTC、1340kHz、10kW)、札幌(WLKD、1420kHz、7kW)、仙台(WLKE、1370kHz、3kW)、広島(WLKH、1440kHz、3kW)、熊本(WLKF、1400kHz、3kW)、新潟(WLKB、1430kHz、0.4kW)、松山(コール無、750kHz、0.5kW)、岡山(コール無、1480kHz、0.5kW)、敦賀(コール無、1180kHz、0.5kW)の11局が開局していたとされている。 1945年12月には、占領軍の再編が行われた。占領政策が順調に進行したためで、西日本を担当していた第6軍を動員解除し、第8軍が日本全体を管轄することとなった。また、イギリス連邦軍が広島とその周辺を担当することも決まり、西日本のAFRS局は以降頻繁に開局・廃局が行われるが、これについては次回にしたい。 表2 1945年11月までの国内中波放送一覧 ・網掛け部分がAFRS放送 ・青森のAFRS放送は当初Aomori表記だったがのちにHachinoheとなった。 7.AFRSだけがよく聴こえる 表3はNHK技術局運用部がまとめた1945年12月1日現在の放送局の開設リストである。表中の電力はこの時点のものである。NHK東京第1の電力が50kWとなっている。また、表中の「*」は計画中または建設中の意である。電力についてはその局の最新のものを記入した。また、1946年2月に出された逓信院電波局の「呼出符号周波数一覧表」も示す。 さて、前回述べたように、占領政策が順調に推移したため西日本を担当していた第6軍が段階的に撤退をはじめた。この第6軍の司令部は京都におかれており、元々正式にAFRSの京都設置が決まっていたが、こうした占領政策の変更のため、とうとう電波を出さないままとなった。 1946年春に戦後初めての総選挙が予定され、政見放送・選挙放送の導入をCIE(民間情報教育局)から指導された。ところが肝心の放送がよく聞こえない。「放送施設を占領軍向けのAFRS放送用に接収され、予備の施設を使わざるをえなかったためである。電力会社が変圧器の故障を防ぐため、夕方になると電圧を下げて送電したことも影響した。神奈川県の湘南地方では第2放送はまったく聴こえず、第1放送も蚊の鳴くような声、AFRS放送だけがよく聴こえた。」[『放送の20世紀』NHK出版、2002.3、P69]そこで選挙期間中の2ヶ月の間、AFRS東京(WVTR・590kHz、50kW)と東京第2(JOAK・1260kHz、10kW)の施設と周波数を交換してほしいとCCS(民間通信局)へ申し出た。しかし、交換案は却下された。だが、受信状態の改善策として、東京第2の周波数を1260kHzから1100kHzに下げる代案が示され、日本側はこれを受けて、変更申請を出した。そこで1100kHzを使用している川内中継局との周波数交換が行われた。また、同じく1100kHzを使用している八幡中継局は廃局となった。1946年1月のことである。 8.占領政策変更によるAFRS局の改編 1946年になると占領政策の変更によるAFRS局の廃止がいくつか出てくる。表4にAFRS放送の周波数変遷を示した。1947年以降は『ラジオ年鑑』と『放送五十年史 資料編』による。 1946年1月、青森に進駐していた第81歩兵師団が動員解除され、併せて八戸(WVTH・720kHz、250W)と青森中継局が廃止された。 呉では、第10軍団が1月末に動員解除され、呉(WLKH・1520kHz、400W)の放送施設は第1軍団に移管し、岡山へと移動した。岡山のAFRS局はコールサインの割り当てがなかったが、以後呉のコールサインWLKHを使用した。また、松山のAFRS局(750kHz、500W)は第24歩兵師団の撤退に伴い7月23日に廃局となった。 1946年3月、イギリス連邦軍が呉に進駐、最終的には中国・四国地域を担当した。進駐に伴い、連邦軍は放送用周波数の配分を要求し、1470kHz、100Wが配分された。このため、呉から岡山に移行されたWLKHは小倉へと移った。イギリス連邦軍の放送はBCOF(British Commonwealth Occupation Forces)Radioと称する。私の所持する過去のWRTHの電子版をみると、1952年版に1470kHz、0.25kWと6105kHz、1kWで放送との既述が見える。また、1955年版のWRTHには1290kHz、0.5kWが追加されている。そして1957年版のWRTHからBCOFの既述は消えた。『ラジオ年鑑 昭和23年版』には、山口(AKAA、1440kHz、0.5kW)、岩国(WLKN、1440kHz、0.01kW)、呉(WLKS、1470kHz、0.25kW)、下関(WLKY、1480kHz、0.01kW)の4局がBCOFの局として掲載されている。 1950年6月朝鮮戦争が勃発したことから、11月には朝鮮の国連軍に向けAFRS放送が名崎送信所から放送された。この時、九州地方の受信状態改善のために、7月に熊本1420kHz、佐世保1370kHz、0.25kWで放送を開始している。また、佐賀(WLKH、1270kHz、10kW)は福岡に移され、690kHzで放送を開始した。それまであった福岡(WLKI、1360kHz、0.05kW)は廃止された。また、いままでNHK施設を使用して放送をしていた札幌(WLKD、1420kHz、10kW)が真駒内米軍キャンプ内の施設に移り、0.25kWの放送となった。 1951年9月1日、民間ラジオ放送が開始され、これに伴う周波数変更については以前に述べた。1953年5月のデータは、1953年5月に電波法施行後第1回の放送局再免許にあたって割り当てられた「標準放送用周波数割り当て表」(郵政省)である。1951年9月に調印され、1952年4月に発効したサンフランシスコ条約により、米軍の駐留がなくなったため、AFRS放送は1952年3月15日、FEN(Far East Network)放送へ名称を変更した。この「周波数割り当て表」にはFENの名称がみえる。この時FEN局は16局を数えた。ちなみにWRTH1955では、東京(810kHz)、名古屋(1270)、仙台(1450)、八戸(1530)、新潟(1550)、九州(1550)、奈良(1560)、美保(1580)、岩国(1590)、北海道(1590)と中継局である神戸(1530)、小倉(1530)、大津(1540)、佐世保(1540)、ヤングハンス(1560)、千歳(1570)、大分(1570)、熊本(1580)の18局が掲載されていた。このうちヤングハンスというのは『ラジオ年鑑』にも「ヤングハンス神町」という既述があるが、駐留軍キャンプ地と推測されるものの場所の特定はできなかった。(了) 表3 表4 【参考】 「AFRS進駐軍放送」のウェブサイト https://sites.google.com/site/cb465mhz/AFRS/ 「RadioAge.Com」のウェブサイトにあるJordan Racoe、「FEN小史」試訳 2012/08版 http://radio-age.com/trans/bhafn.html 『放送の五十年〜昭和とともに〜』日本放送協会編、日本放送出版協会、1977.3 『ラジオ年鑑昭和22年版〜26年版』日本放送出版協会 『放送五十年史 資料編』日本放送協会編、日本放送出版協会、1977.3 『放送の20世紀〜ラジオからテレビ、そして多メディアへ』NHK放送文化研究所監修、NHK出版、2002.3 『WRTH 1947-58』CD、O.Lund Johansen(Original Edition)、ADDX、2005 (OG) |
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