戦前のNHKラジオ放送の周波数変更について-番外編 
<HOME>  update:2016/07/25

 会報NO.426で戦前のNHKラジオ放送の周波数変更について紹介した。この中で、東京・大阪・名古屋の各局が1925年~1930年までの間に周波数の変更が行われたのかどうか、1936年の一斉周波数変更はなぜ行われたのか、あるいは1936年までに頻繁に行われた各局の周波数変更の理由は何か等については資料がなく解明することができなかった。
 最近別件で資料を調べていたところ、国立国会図書館の近代デジタルライブラリの中に『日本放送協会史』という本があることを知り、この中に1939年3月末までの行われた各局の周波数変更にふれた箇所を見つけた。残念ながら1936年7月1日に行われた一斉周波数変更の理由については記述がなく、改めて『昭和12年版 ラヂオ年鑑』も見直したが記述はなかった。この点については未定のままだが、一斉周波数変更までに行われた各局の周波数変更についてはおおよその理由が明らかになったので以下に紹介することとする。紹介する局にはコールサイン、周波数(1939年3月末)を表示した。

 また、最初に述べた東京・大阪・名古屋の3放送局が1925~1929年の間の周波数変更の記述も発見したので紹介する。東京は1928年5月20日に当初の800kHz・1kWから870kHz・10kWへ変更が行われ、大阪は1928年5月20日に当初の779.2kHz・0.5kWから750kHz・10kWに、名古屋は1928年4月15日に当初の834kHz・1kWから810kHz・1kWに変更が行われていたことがわかった。

■山形放送局 JOJG 1080kHz
 1937年4月より外国電波による混信およびビート妨害が発生した。原因はハバロフスク放送局の第2高調波と判明したため、逓信省を通じ外交交渉を行ったところ、1938年7月に設備改善の回答が寄せられたが、現在に至るも解決していない。

■前橋放送局 JOBG 1000kHz
 当初の周波数970kHzを一斉周波数変更時に1000kHzに変更したところ、名古屋第2放送と10kHz差となり、夜間に混信を起こすようになった。しかし、東京中央放送局の大電力化により直接東京局を受信することが可能となったため、前橋局は1938年12月19日に閉局となった。放送局の廃止は前橋局が最初である。
 東京中央放送局の大電力化は1937年12月28日に行われ、第1放送、第2放送ともに150kWの出力となった。第1放送の送信所は埼玉県川口市上青木町、第2放送の送信所は埼玉県北足立郡鳩ヶ谷町(現鳩ヶ谷市)である。

■長野放送局 JONK 1040kHz
 開設当初は東京等からの中継放送を行っていた。当初の635kHzは1932年12月21日に940kHzとなり、1936年の一斉変更時に950kHzとしたが、上田・小諸・松本方面で大阪第2放送(940kHz)と混信を生じたため同年10月10日に1040kHzに変更した。

■松本放送局 JOSG 960kHz
 長野放送局と同一周波数での試験放送を行うということで開局準備が進められたが、試験放送の成績が不良のため、別周波数960kHzが割り当てられ、1938年12月20日に開局した。


■静岡放送局 JOPK 980kHz
 当初の778kHzが夜間に仙台放送局770kHzとビート妨害を生じたため、1931年9月1日に780kHzに変更した。ところが1938年1月1日より浜松放送局の周波数を同一周波数とした(浜松局の欄参照)ことから島田・金谷方面で受信妨害を生じたため、再度浜松局の周波数を変更し、解決した。

■浜松放送局 JODG 1100kHz
 当初635kHzを使用していたが、外国電波の混信が次第にひどくなったため、1936年の一斉周波数変更時に640kHzに変更した。1938年1月1日、日本放送協会技術研究所の指導で、同一周波数放送の初の実験局として、静岡放送と同一周波数の780kHzにしたが、一部に受信障害を生じたため、1100kHzに変更した。

■新潟放送局 JOQK 920kHz
 当初625kHzを使用していたが、開設予定の松江放送局が同じ周波数を使用する予定であることや、かねてから長野放送局との混信問題を解決するために、1932年3月7日800kHzに変更した。このことで大電力局である名古屋局(810kHz、10kW)及び熊本局(790kHz、10kW)と10kHzしか違わないため混信が生じ、同年6月7日に920kHzに変更した。

■岡山放送局 JOKK 630kHz
 当初700kHzの周波数で放送していたが、送信機出力が規定の500Wを出すことができなかったため、新設の京都放送局用の送信機を岡山局にまわしてもらった(京都局は岡山局の「お古」の送信機を改良して使用した!)。一斉周波数変更の時に630kHzとしたところ、635kHzの外国電波と混信を生じたが大きな問題とはなっていない。この外国局について「浦盬(ウラジオストック)と推定せらる」という注がある。

■鳥取放送局 JOLG 890kHz
 開局当初より同一周波数890kHzの奉天放送局と混信を起こす地域が相当広範囲にわたっていたため対策を検討していたが、1937年7月、奉天放送局の設備を改造したことで解決がなされた。1937年12月28日より東京中央放送局第2放送(870kHz)の大電力送信が開始され、混信妨害が起こる地域が生じたが、受信機に工作を施すことで分離可能と判断された。

■松江放送局 JOTK 670kHz
 当初の625kHzを一斉周波数変更時に670kHzに変更したところ、674kHzの哈爾浜放送局と混信する地域を生じたため、受信機の調整で対応しているが、いまだ未解決である。
図3 東京中央放送局自家用発電設備

■福岡放送局 JOLK 910kHz
 当初680kHzで放送していたが、1932年2月6日、函館放送局と同一周波数放送の実験を開始したところ、夜間に一部地域で混信を起こしたため、一斉周波数変更時に910kHzに変更した。また、1932年8月13日、同一波数で南京で大電力放送が開始されたことで相当な混信が生じた。これは1933年9月1日、南京放送局の周波数変更により解決した。

 以上、主な放送局について周波数変更が行われた事情を取り上げた。これらからわかるように、1925年の放送開始からしばらくの間は、電波の伝播状態がつかめず、手探りで周波数を決めていた時代であったといえよう。国内局相互の混信や外国局との混信を避け、良好な受信状態を求め、周波数の変更が行われた。
 1934年から行われた第3期放送拡張計画では受信状態改善のために長波大電力局の設置も検討されたようだ。しかし諸般の事情でとりやめとなり、まずは東京中央放送局の大電力化が進められた。
 また、NHK放送技術研究所が主導した同一周波数放送の実験が、まず遠距離の函館局-福岡局及び松江局-新潟局の間で、次いで近距離の静岡局-浜松局の間で実験されたが、芳しい成果を得ることができず実施には至らなかった。同一周波数での放送については以後資料が集まれば紹介したいと考える。

【参考】
『日本放送協会史』(社)日本放送協会、1939年5月10日
『昭和12年 ラヂオ年鑑』日本放送協会

(OG)
 
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