<HOME>  update:2020/08/12
1.ラジオ塔のはじまり
 以前、京都に現存するラジオ塔を紹介したが、今回は大阪のラジオ塔を取り上げる。『ラヂオ年鑑』(昭和16年版以降は『ラジオ年鑑』と称するが、ここでは『ラヂオ年鑑』で統一する)にラジオ塔の記述があらわれるのは昭和8年版からである。ここには「公衆用聴取施設」というタイトルで、ラジオ聴取加入数百万突破記念の一環として「公共奉仕用ラヂオ塔」の建設が始まったことや、昭和7年に全国50ヶ所の設置計画に対して40ヶ所に設置されたことが記されている。このうち関西の4ヶ所(天王寺公園、京都円山公園、奈良公園、神戸湊川公園)はこの計画前に設置されたものである。『ラヂオ年鑑』のラジオ塔の記述はこれ以降毎年行われており、昭和18年版までの設置数の様子を表1にまとめた。これをみると昭和16年版以降に設置数が増加していることがわかる。昭和16年版には昭和15年建造のものが掲載されており、日中戦争の開始に伴い設置数が増えたものと思われる。
 さて、昭和17年版までは設置された全ラジオ塔の一覧が掲載されていたが、昭和18年版になると増加分のみの掲載となった。戦前、『ラヂオ年鑑』は昭和18年版までしか発行されておらず、それ以降の建設数が不明であるのは残念なことである。

表1 日本のラジオ塔設置数の推移


2.大阪のラジオ塔
 ラジオ塔の建設地は、当初「関東」「関西」「東海」「中国」「九州」「東北」「北海道」という区分で掲載されていたが、昭和10年版以降は「直轄」「大阪」「名古屋」「広島」「熊本」「仙台」「札幌」という中央放送局ごとの区分となった。1934年に中央放送局体制になったことによるものと思われる。
 大阪中央放送局の管内には、大阪をはじめとして京都、兵庫、奈良、和歌山、滋賀、徳島、高知各府県の放送局や施設が含まれる。このうち大阪府に設置されたラジオ塔の一覧を表2に示した。これを地図上に示したものを図1に示す。大阪には計27ヶ所設置された。これ以外に「公衆用聴取施設」が大阪鉄道局管内の駅に10ヶ所設置されている。この施設は、おそらく駅の待合室でラジオを聞くことができるようにしたものと思われる。ラジオ塔の中で、天王寺公園に設置されたラジオ塔は全国に先駆けて設置されたものである。
 現在も残る大阪府下のラジオ塔の数は7ヶ所で、訪問記を以下に記した。但し、住吉公園のラジオ塔はレプリカであるため除外した。

表2 大阪のラジオ塔設置場所一覧


図1 大阪のラジオ塔の分布図(は現存するラジオ塔)


3.大阪城公園(大手前公園)のラジオ塔
 図2・3 大阪城公園のラジオ塔

 現在、「大手前公園」でウェブ検索をするとヒットするのは「姫路城の大手前公園」ばかりである。古い絵はがきから「大手前公園」が現在の大阪城大手門の門前に広がる公園であることが確認できた。さて、大阪城大手門の南側、大阪府警本部の前のお堀端にラジオ塔がある。このラジオ塔の建造は1938年である。訪問した2月4日は、すでに中国の春節の長期休みは終わっているはずなのに、大阪城内にはかなりの中国人観光客がいた。
 このラジオ塔は他のものに比べ本体が細身で、屋根は灯籠によく見られる傾斜型となっている。スピーカーが置かれていたと思われる部分は、自動車運転の初心者マークのような矢形のデザインとなっている。塔の前面には何かが貼り付けてあったような跡が残る。近くに説明板があるが、これはラジオ塔のものではない。

図4 大阪城公園のラジオ塔の場所
○交通:大阪地下鉄谷町線「谷町四丁目」駅下車、徒歩10分

4.中之島公園のラジオ塔
図5 中之島公園のラジオ塔

 大阪城公園から少し足をのばせば中之島公園である。中之島公園は、1891年に大阪市初の市営公園として整備されたもので、1921年に行われた大川の浚渫で出た土砂の埋立で現在のような形状となったそうである。この中ノ島公園の東側にラジオ塔がある。天神橋の中央付近に公園におりる階段があり、ここをおりて西に進む。ラジオ塔は堂島川に面したところに建っている。中之島公園のラジオ塔は『ラヂオ年鑑』には載っておらず、1940年以降の設置ではないかと思われる。
 このラジオ塔は屋根が平面で、スピーカーを収めたと思われる窓にはたての格子がはまっている。側面の1ヶ所にコネクタが残っており、ここにスピーカーへの出力線を接続したのではないかと思われる。

図6 中之島公園のラジ塔の場所
○交通:京阪本線「天満橋」駅下車、徒歩10分

5.成田山大阪別院明王院(香里成田山公園)のラジオ塔
図7 成田山大阪別院明王院

 京阪電車「香里園」駅を下車、南東に向かって歩くと「香里ヌヴェール学院中高」(元聖母女学院中高)の校舎にぶつかる。さらに進むと成田山大阪別院明王院に到着する。明王院は、真言宗智山派の寺院で、千葉県成田市にある成田山新勝寺の別院である。創建は1934年である。訪問したのは節分の翌日だったので、まだ賑わいのあとが境内のあちこちに残っていた。ラジオ塔は寺院南側にある駐車場にあった。自転車置き場の横で存在感を際立たせている。このラジオ塔は『ラヂオ年鑑』昭和18年版に出ていたが建造年の記載はなかった。1941年頃の建造と思われる。

図8 成田山大阪別院明王院のラジオ塔

 このラジオ塔は、屋根の上に鷲(?)のモニュメントが乗っているのが特徴である。屋根の下は4つの柱で支えるようなデザインとなっており、格子はない。本体側面の一つに空間が作られ、そこにラジオを置いたのではないかと思われる。正面には「昭和拾五年拾壹月拾日」と建造年月日が刻まれている。また、別の側面にはおそらく寄進者と思われる住所氏名が刻まれている。

図9 成田山大阪別院明王院のラジオ塔の場所
○交通:京阪本線「香里園」駅下車、京阪バス(22)(25)乗車、「成田山不動尊前」下車すぐ

6.大浜公園のラジオ塔
図10 大浜公園
 大浜公園は、1879(明治12)年に旧堺港の南にある陸軍の砲台跡を中心に開発された堺市で一番古い公園である。南海電車の「堺」駅で下車し、西に向かって10分ほど歩くと大浜公園である。ラジオ塔はプールの南側、一等三角点のある山としては日本一低い蘇鉄山(標高6.97m)の麓に建っている。このラジオ塔の建造年は1933年で、大阪に現存するラジオ塔の中では一番古い。

図11 大浜公園のラジオ塔
 このラジオ塔は、1.5mほどの四角い枠状の建造物の中に建ち、背面部が大きく開いている。正面、側面ともに何かを留めたような跡が残る。このラジオ塔も屋根を4つの柱で支える形になっている。塔の脇にラジオ塔の説明板がある。

図12 大浜公園のラジオ塔(こちらはレプリカ)
 大浜公園にはこのラジオ塔の他にもう一つラジオ塔がある。これは元々のラジオ塔のレプリカで、上記のラジオ塔を復元したものである。レプリカのラジオ塔は本物と少し離れた中央広場にあり、ここにも説明板がある。1日に6回ラジオ体操等のメロディーが流れるそうである。このようにラジオ塔がしっかりと保存されている例は珍しい。

図13 大浜公園のラジオ塔の場所
○交通:南海本線「堺」駅下車、徒歩10分

7.大和公園のラジオ塔
 東大阪市の大和公園は、近鉄奈良線「河内小阪」駅を下車し、南に向かい15分ほど歩くとある。ラジオ塔は公園の東端にある。このラジオ塔も『ラヂオ年鑑』にはなく、1940年以降の設置ではないかと思われる。

図14 大和公園のラジオ塔

図15 上部に「大阪中央放送局」の文字が見える
 このラジオ塔は、楕円柱を3つ重ねたような形をしており、これまでのような塔タイプとは異なる形状をしている。正面中央に「竣功記念」の文字が刻まれ、その上の帯状部分に「大阪中央放送局」の文字がある。裏面両サイドには御影石に文字が刻まれているが、刻みが浅いため読み取れない。ラジオを収める空間が塔自身にないため、塔の上部または両サイドにラジオを置いたのではないかと思われる。

図16 大和公園のラジオ塔の場所
○交通:近鉄奈良線「河内小阪」駅下車、徒歩15分

8.箕面公園のラジオ塔
 箕面公園は1871(明治4)年に瀧安寺の領有地以外を国有とし「公園地」指定を受けたことに始まる。1898(明治31)年大阪府最初の自然公園となり、1910(明治43)年阪急電車が開通する。1967(昭和42)年明治100年を記念し、「明治の森国定公園」に登録された。

図17 箕面山瀧安寺の山門

図18 箕面公園のラジオ塔(大阪中央放送局のコールサインJOBKが見える)
 阪急箕面線「箕面」駅を下車し、北に向かい歩く。この道は箕面大滝に通ずる道である。15分ほど歩くと「箕面公園昆虫館」に至る。さらに少し歩くと瀧安寺の山門が見えてくる。山門をくぐると正面に観音堂、左に社務所がある。ラジオ塔はこの社務所の奥にある。境内には灯籠が沢山あるので間違えないようにしたい。このラジオ塔は1939年の建造である。
 このラジオ塔は、灯籠と間違うような形をしており、正面に「JOBK」の銘板がなければわからないかもしれない。窓の部分には木製の格子がはまっている。本体側面には空間がまったくなく、どのようにラジオを設置したのか、推測しにくい。

図19 箕面公園のラジオ塔の場所
○交通:阪急箕面線「箕面」駅下車、徒歩15分

9.大曽公園のラジオ塔
 大曽公園は阪急宝塚線「豊中」駅を下車し、東に20分ほど歩いたところにある。豊中市のウェブページによれば、大曽公園は農業用水に利用されていた大曽池を埋め立て整備し1952(昭和27)年に開園した公園であるとある。そうすると『ラヂオ年鑑』にある建造年1939年と整合性がとれない。『ラヂオ年鑑』には「大曽公園」ではなく「豊中市小公園」と書かれているだけなので、この公園ではないのだろうか。
 いろいろ調べてみたところ、豊中市のページが不正確だったのである。この公園内に「大曽公園建設記念碑」が建っており、そこに「本公園ハ本市連合町内会隣組ノ結成ヲ記念シ、之ガ敷地ヲ大字桜塚ヨリノ寄付ニ求メ、其ノ資金ハ市民ノ篤志ニ俟チテ建設シタルモノナリ。 昭和十六年十一月十四日 大阪府豊中市長 従五位勲六等 中川種治郎」と書かれていた。つまり、公園の開園は1941年で、戦後に拡張されたのである。

 
図20 片面に「豊中市大曽公園」、もう片面に「大阪中央放送局」が見える
 このラジオ塔は、なかば壊れた状態であり、現在はコンクリートの柱があるのみである。柱の広場に面する側に「大阪市大曽公園」の文字が、その裏面に「大阪中央放送局」の文字があり、かろうじてラジオ塔であったことを思わせる。塔の上部は壊れているようで、塔には側面の文字のみで、他に空間やミゾなどはない。


○交通:阪急宝塚線「豊中」駅下車、徒歩20分

10.おわりに
 大阪中央放送局管内に設置されたラジオ塔は、表1からもわかるように早い時期から増加がみられ、増加数も群を抜いている。鉄道局管轄の施設を除いても26ヶ所あった大阪府下のラジオ塔のうち現在残るのは7ヶ所のみとなった。ラジオ自身がすでに過去のものとなりつつある現状ではあるが、だからこそ文化遺産としてラジオ塔が保存される意義は大きいと思われる。


【参考文献】
『ラヂオ塔大百科2011-2014』一幡公平著、タカノメ特殊部隊、2014.12
『放送の20世紀〜ラジオからテレビ、そして多メディアへ』NHK放送文化研究所監修、NHK出版、2002.3
『ラヂオ年鑑』昭和8年版〜昭和15年版、『ラジオ年鑑』昭和16年版〜18年版
(OG)

 
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