戦後の日本の標準周波数報時局     2023.8.17

(1)戦後の標準周波数局
 戦後最初の標準周波数電波の発射は1946(昭和21)年4月1日である。戦時中、政府は逓信省と鉄道省を統合した運輸通信省を設置し、通信関係は通信院が所管した。敗戦の3ヶ月前、通信院は内閣所属の逓信院と名称を変え、戦後しばらくは逓信院が存在した。その逓信院告示第90号には、同じ検見川送信所から同年4月1日から電波が発射されるとある。送信出力は5kW、周波数4MHz(JJY)と8MHz(JJY2)で、毎日発射された。発射時刻は、4MHzは6:00/10:00/16:00/18:00/22:00より各20分間、8MHzは8:00/14:00/20:00より各20分間である。送信型式は開始符号は戦前と同様で、続いて無変調の標準周波数電波を9分間、1kHz変調の標準周波数電波を10分間送出した。同年12月からは送信出力が2kWになり、あわせて12MHz(JJY3)が追加された。12MHzは毎日11:30~14:30に発射され、開始符号のあと無変調電波を14分間、変調電波を15分間発射し、2時間中これを4回繰り返すとある。1948(昭和23)年8月1日からは標準周波数電波と報時電波が統一され、標準周波数報時電波となった。

図4 文部省逓信省告示第1号


(2)戦後の報時局
 標準周波数局JJYについては先に述べたが、戦後しばらくは東京中央電信局JJCと銚子無線電信局JCSの報時電波が運用されていた。1946年8月30日付の逓信省告示第66号には「東京中央電信局 A1電波39kHz、4000kHz、4630kHz、9260kHz及13890kHz/銚子無線電信局 A2電波500kHz」の記述が見える。この告示は周波数変更のものだから時刻は1933年の告示通り東京が10:54~11:03と20:54~21:03、銚子が10:59~11:03と20:59~21:03のままだと思われる。東京中央電信局は、戦時中までは船橋送信所が電波を出していたが、敗戦により海軍の施設だった船橋送信所は廃止され、代わりに逓信省所管の戸塚無線局より短波が、検見川送信所より長波が発射された(*3)。この戸塚送信所については「第21冊(1948)」にも、戸塚が4630kHz、9260kHz、13890kHzで、検見川が39kHzと4000kHzで報時信号を発しているとある。この戸塚とは、旧海軍東京通信隊戸塚分遣隊の施設のことで、戦時中の1944年春に建設されたものである。戦後はGHQにより接収され、在日米軍厚木基地所管の深谷通信所と呼ばれていたが、2004年に返還された。在日米軍の管轄下にあった施設が報時局としても使われていたことに驚きを禁じ得ない。1972年11月に4630kHzが臼井へ、4000kHzと9260kHzが検見川に移った。これらの報時局のうち、銚子は1952年2月1日に停波、報時電波は39kHzと9260kHzが検見川から、4630kHzと13890kHzが臼井から送信された。検見川の4000kHzは標準電波に使用された。報時電波が終了したのは1960年3月末で、以後は標準電波に重畳された秒報時がその役割を果たすようになる。

 この他にIGY(International Geophysical Year:国際地球観測年)に関連し、経緯度の測定のために小山送信所から報時電波が発射されたことがあった。最初はJAFのコールサインで、1954年12月13日~17日の12:30/18:30/21:30(UTC)に7570kHzで発射された。1955年になると同年のうち3ヶ月間の水曜と金曜に0:30/3:30/12:30/18:30/21:30(UTC)に7570kHz/11012.5kHz/13475kHzのどれか1波を使って発射された。IGYが開始された1957年7月1日になると毎週水・金の12:30/18:30/21:30(UTC)に15880kHz(JAS32)/15460kHz(JAU4)/18570kHz(JAG3)/7510kHz(JAQ)/11012.5kHz(JAQ5)が送信された。IGY終了後も引き続き送信は行われ、15460kHz(JAU4)/17617kHz(JAO7)/16170kHz(JAS22)が21:30に毎日送信された。このうち16170kHzの送信は長く続けられたようで、『理科年表』では1960年版~1969年版まで同波が記載されている。廃止の時期についてはわからなかった。

(*3)『東京天文台 無線報時史』第1巻、天文時部経度研究課、1960.2、P12

(3)短波の標準周波数報時局
 1947(昭和22)年、無線報時業務の技術改善を目的に学術研究会議に無線報時委員会が設置され、標準電波を使って分秒報時を行う研究がはじまった。学術研究会議とは、国際学術研究会議の設立をうけて1920年12月に成立したもので、現在の日本学術会議の前身にあたる。無線報時委員会は、1949年4月に無線報時研究連絡委員会と改組され、1959年3月にその目的を達したため解散となった。委員会の報告書は順次出版され、『東京天文台 無線報時史』には第9巻までの項目が記されている。

 標準周波数電波に報時信号を加える発射試験は1948年4月1日から検見川送信所で行われ、4MHzで9:00(JST)~16:00(JST)に送出された。この標準周波数報時電波は、1948年8月1日に正式発射が決まった(文部省逓信省告示第1号)。

 標準電波の発射については小金井に標準所を、幕張に発射所を新設し、較正したものを検見川に送り送信する計画であったが、標準周波数信号を長距離伝送するのは技術的に困難であることがわかり、幕張・検見川での業務も小金井で行うこととなった。1949(昭和24)年8月に施設が完成し、8MHz続いて4MHzが発射された。1951(昭和26)年6月には、2.5MHz(1kW)/5MHz(1kW)/10MHz(1kW)が加わった。15MHz(1kW)が加わったのは1955(昭和30)年6月である。

 
図5 小金井の標準機械室                         図6 小金井の標準電波発射局舎

 1965年頃から小金井のアンテナ周辺の宅地化が進み、電波障害が問題になったため、移転することになった。周波数標準については1975年1月に同じ小金井市の緑町から貫井北町に移転し、送信所については1977(昭和52)年12月に名崎に移転した。

 長らく標準電波は短波を使用してきたが、長波を使用した標準電波の実験が進展し、1999年6月に長波JJY局が誕生した2年後の2001年3月31日にその役目を終えた。

(a)官報に使われた局の名称
 標準周波数局が最初に記された逓信省告示第1号では「標準電波ヲ発射ス」と「標準電波」という名称が使われている。その後、標準周波数と報時を一緒に行うようになったときの文部省逓信省告示第1号では「標準(周波数及び秒報時)電波を発射する」となっている。この表記はこの時だけで、以降は「標準電波(標準周波数)並びに標準秒報時及び電波警報を放送する」となった(たとえば文部省電気通信省告示第1号(1949年12月16日)など)。1956年の郵政省告示第1410号(1956年12月26日)以降は「標準周波数局」という名称が使用されるようになった。

 前述したように「標準周波数」の研究は海軍と逓信省が主導して進められたが、戦後軍隊がなくなると逓信院(1946年に再び逓信省となる)が管轄となる。そのため戦後最初の逓信院告示第90号(1946年3月29日)では、「標準電波」が使われている。その後、標準周波数と秒報時との統一がはかられると、秒報時については文部省が管轄していた東京天文台が関係するため、以降の告示は文部省との共同告示となっている。名称が「標準周波数局」となったのは、1950年に定められた「無線局運用規則」(電波監理委員会規則第17号、1950.11.30全面改正)による。これは「電波法」(法律第131号)に基づくもので、「電波監理委員会設置法」、「放送法」のいわゆる「電波3法」が1950年4月に成立したためである。こうして電波行政はしばらくは電気通信省が行ったが、1952年8月の同省廃止とともに郵政省がこれを引き継いだことから、それ以降の告示は郵政省が行い、名称も「標準周波数局」に統一された。

 ちなみに『理科年表』の表記をみると、戦後すぐの第20冊(1947年)では「無線電信報時」が使われており、第29冊(1956年)からは「無線報時」となる。第25冊(1952年)では解説の中に「標準周波数及び秒報時電波」を使ってJJYの説明があるが、一覧表は「報時」のままであった。「標準電波」については第38冊(1965年)から使用されはじめ、翌年から「標準電波」と「報時」が分けて記されるようになった。官報に比べるとかなり遅い対応であった。

(b)周波数、出力の変遷
 標準周波数報時局の発射電波の周波数や出力を以下に示す。
(ア)短波JJYの変遷


(イ)長波JJYの変遷




(c)発射電波のフォーマットの変遷
 標準周波数報時局の発射電波のフォーマットは以下のように変化した。主なものを図示した。

図8 逓信省告示第1号の送信フォーマット

図9 逓信院告示第237号の送信フォーマット

図10 逓信院告示第90号の送信フォーマット

図11 文部省逓信省告示第1号の送信フォーマット



図12 文部省郵政省告示第1号の送信フォーマット

図13 郵政省告示第1410号の送信フォーマット

(4)長波を使用した標準周波数報時局
 長波による電波伝搬は地表波またはD層電離層による反射波のため、安定した精度のよい周波数を供給できる。電波研究所では1959年5月15日より実験局JG2AQ(周波数16.2kHz、出力100W)を運用し、1960年11月21日からは3kWに出力を増強して運用した。また1962年1月1日からはJG2AR(周波数20kHz、出力3kW)を土日を除く毎日14:30~16:30の2時間運用した。JG2AQとJG2ARは1963年4月に停波し、JG2ARは同年10月より再び送信が開始されている。JG2ARは送信所が名崎に移転する1977年11月末まで送信された。

 これらの局の実験結果をもとに長波標準電波局の計画が立てられたが、独立した送信所の建設は困難であったため、検見川送信所の防衛庁海岸局(JJF-2)の業務が空いている時に運用することになった。JG2AS局は周波数40kHz、出力10kWで1966年1月20日から運用を開始した。運用時間は日曜日を除く9:00~15:00である。1970年10月には報時信号の試験発射が行われた。その後1973年1月から送信時間は8:30~17:00に延長された。1977年11月短波標準電波局JJYの移転とともに、JG2AS局も名崎送信所に移転した。新送信所からは24時間送信となった。JG2ASの送信フォーマットを以下に示す。時刻信号の部分は無変調の40kHz搬送波を500mSごとにON/OFFしており、信号の立ち上がりが正秒を示す。毎時15分と45分にモールスによりJG2ASを3回繰り返す(*4)。1988年12月には、1分間に1フレームのタイムコードを送出する実験が行われた。長年実験局として運用されてきたJG2ASは、1999年6月10日をもって停波した。この日、福島県のおおたかどや山に新しい長波JJY局が誕生した。長波JJYは40kHz、10kWで24時間の運用である。その後2001年10月1日には佐賀県はがね山にも長波JJY局が誕生した。こちらは60kHz、10kWの運用である。東西2つのJJYの誕生を待つことなく、短波JJYは2001年3月31日をもって停波した。

 
図14 おおたかどや山送信所                        図15 はがね山送信所

 現在の長波JJYの信号は、秒信号の立ち上がりが正確な秒をあらわし、その秒信号の長さをもってバイナリデータをあらわす。長さが200mSのものはマーカおよびポジションマーカーといい、正分やビットの区切りをあらわす。長さが500mSのものは2進数の「1」を、長さが800mSのものは2進数の「0」をあらわす。例えば、50kHzのJJYの場合、1周期は0.02mSだから、200mSの長さとは正弦波10000サイクル分の長さになる。図3A-16で説明する。これは分のテーブル部分を示したもので、図では20と4と1が500mS(長さが短い)ので、「1」をあらわす。したがって20+4+1=25分をあらわすことになる。通常の1分間の送信テーブルを図17に、モールスによる局名コールがある場合の1分間の送信テーブルを図18に示す。

図16 JJYの信号の例

図17 JJY通常の送信

図18 JJY局名告知の送信


(*4)本間重久・斎藤義信「長波標準電波(JG2AS/JJF-2)による供給」、『電波研究所季報』Vol.29 No.149、1983.2


 最後にJJYのQSLを以下に示す。

(1967年) (1995年)

(2001年:短波JJY閉局時のもの)

(1999年:長波40kHz開局時のもの)

(2001年:長波60kHz開局時のもの)

(2004年:長波開局5周年)

(2011年:長波60kHz開局10周年)
図19 JJYのQSL

【図の出典】
図4 1948年8月2日文部省逓信省告示第1号 『官報』第6464号
図5 小金井の標準機械室(1951年) 『標準電波五十年の歩み』郵政省通信総合研究所標準測定部、1991.3
図6 小金井の標準電波発射局舎(1954) 同上
図7 JJYの変遷 『標準電波五十年のあゆみ』より筆者作成
図8 逓信省告示第1号の送信フォーマット 『官報』第3897号、1940年1月6日
図9 逓信院告示第237号の送信フォーマット 『官報』第5211号、1944年5月31日
図10 逓信院告示第90号の送信フォーマット 『官報』第5760号、1946年3月29日
図11 文部省逓信省告示第1号の送信フォーマット 『官報』第6464号、1948年8月2日
図12 文部省郵政省告示第1号の送信フォーマット 『官報』第8094号、1953年12月25日
図13 郵政省告示第1410号の送信フォーマット 『官報』第9002号、1956年12月26日
図14 長波JJY40kHzおおたかどや山送信所 NICT(情報通信研究機構)HPより https://jjy.nict.go.jp/LFstation/otakado/index.html
図15 長波JJY60kHzはがね山送信所 NICT HPより https://jjy.nict.go.jp/LFstation/hagane/index.html
図16 JJYの信号の例 筆者作成
図17 JJYの通常の1分間の送信テーブル https://jjy.nict.go.jp/jjy/trans/timecode1.htmlを参考に筆者作成
図18 JJYの局名告知がある1分間の送信テーブル https://jjy.nict.go.jp/jjy/trans/timecode2.htmlを参考に筆者作成
図19 JJY局のQSL 筆者所有

 
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