書籍『東京天文台 無線報時史』について
<HOME>  update:2022/08/29

1.はじめに

 以前 『東京天文台 無線報時史』(以下、「無線報時史」と略す)という書籍を入手した。「ヤフオク」の書籍コーナーで計算関係の本を探していたとき、ある本の横に立派な装丁の本があった。それはオークションの対象外だった。たまにこういう写真を出す人がいる。その本のタイトルを見て驚いた。「無線報時史」とある。これはいままで知らなかった。早速あれこれ調べてみると、「日本の古本屋」に在庫を見つけ、少々高かったが購入した。

2.東京天文台と無線報時
 銚子無線局(JJC)から最初の報時信号が発せられたとき、東京天文台はその報時の時刻情報を無線局に送る役割をしていた。また、1922年の万国天文協会・万国測地及び地球物理学会の総会で、長波報時局の電波を受信し、その国の基本経度を測定することが決まり、日本もこれに参加することになった。そこで遠距離無線電波受信所が必要になり、東京三鷹の東京天文台敷地内に三鷹国際報時所が1924年に設置された。以後、常時各国の報時局信号を受信することになった。そのため東京天文台は無線報時局との関係が深いのである。

図1 『東京天文台 無線報時史』全2巻

3.装丁と中身のちぐはぐさ

 届いた本を見て、まず驚いたのは立派な装丁とはミスマッチな本文だった。なんと"ガリ版刷り"なのである。"ガリ版刷り"とは、正式名を謄写版印刷という印刷法で、私が大学生頃までは存在した。諸氏の中には小学生の頃、担任の先生の手書き文字のプリントをもらった経験がある人もいるのではないか。あるいは年賀状印刷で一世を風靡した「プリントゴッコ」がこれにあたる。辞書には「孔版印刷の一種。ロウ引きの原紙に、鉄筆で書いたりタイプライターで打ったりして細かい穴をあけ、そこから印刷インキをにじみ出させて刷る。また、その印刷機。がり版。」とある。ヤスリといわれるヤスリ目がついた金属板の上にろう引き原紙を置き、千枚通しのような鉄筆で字や絵を書くと、細かい穴があく。この原紙を木枠につけて、上からインクの付いたローラーでこすって印刷する方法である。先日、湖国でエジソンの手紙が発見されたというニュースが伝えられたが、この手紙の受領者堀井新治郎がこのガリ版印刷機を発明したのである。現在、堀井の自宅は「ガリ版伝承館」(東近江市蒲生岡本町663、土日のみ開館)となっている。

図2 ガリ版伝承館

 「無線報時史」は第1部沿革・利用編、第2部資料編の2冊になっているが、2冊ともに、すべて"ガリ版印刷"なのである。第1部166ページ、第2部185ページのすべては同じ筆跡で、1人の人の手によるものだ。東京天文台天文時部経度研究課に在籍していた二日市金作氏が作者である。私も経験があるからわかるが、かなり強い筆圧で書かないとうまく原紙を作ることが出来ないのである。何百枚もの原紙を作成することはさぞ大変だったに違いない。

図3 ガリ版刷りの本文

 なぜガリ版刷りだったのか。第2部のあとがきに出版の経過についてふれている。「・・・当初活字印刷にして貰ふ考えであったが、詳細に渡って書けば頗る膨大なものになり、私の天文台を去るの時期までには迚り(迚も(とても)の間違いか:筆者注)間に合は無い。」こうして原稿を書きながら、原紙も作成するということになったようだ。

 第1部のまえがきには出版の動機が書かれているので、これも紹介しておこう。「・・・編者も又三拾六有余年間の無線報時畑から東京天文台を去ることになっているので、何等かの形で聊かこれ等国内及び国際無線報時の過去を辿りその変遷を省みることを思ひ立ち、本年六月頃から此の無線報時史の編纂を企てたのである。」二日市氏は退職までの10ヶ月ほどでこれを完成させたのである。

4.「無線報時史」の内容
 目次をあげて、紹介とする。

 まえがき
 第1部 無線報時の沿革と利用編
  第1章 無線報時の沿革
  第2章 標準時と報時
  第3章 国際報時受信開始
       三鷹国際報時所の沿革
  第4章 報時受信に依る成果
  第5章 無線報時に関係する文献編
 第2部 資料編
  第1章 受信機の方式の変遷と開始年月
  第2章 国内無線報時
  第3章 国際無線報時受信

5.新たな資料の獲得
 「無線報時史」によって、いままでわからなかった戦前期の世界の無線報時局の実情をつかむことができた。第2部第3章では、実際に受信しているデータが示されているので、確度も高いし、変化の状況等もよくわかる。

 また、第1部第5章の無線報時に関係する文献も参考になった。いままでは無線という分野からのつながりで文献情報を調べてきたが、ここでは経度測定という分野からのつながりであったため、新しく知ったものが多かった。とりわけ、『理科年表』に世界の無線報時局の記述を見つけたことは大きい。1925年版から1937年版までに詳細なデータが掲載されており、以後は主な局だけとなっている。これによって戦前の無線報時局の状況がよくわかることになった。後日、結果を紹介したい。

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