戦前のアメリカの報時局     2023.6.6
 (a)Arlington NAA  

図1 Arlingtonの地図

 世界で最初に無線による報時を送出したのはアメリカ海軍といわれている。1903年9月に電信コードを送出した。これにはワシントンにあるアメリカ海軍天文台(USNO)が時刻を提供した。1904年8月9日にはボストンの海軍工廠から定期放送が始まり、1905年末にはアメリカ国内のNorfolk、Newport、Cape Cod、Key West、Portsmouth、カリフォルニアのMare Islandから標準時報が送出された。

 NAA局は、1913年に周波数125kHz、出力54kWで送信が開始された。時刻情報はUSNOから提供され、100kWの回転式火花ギャップ送信機が使われた。アンテナには183m高の塔1本と139m高の塔2本が建てられ"Three Sisters"と称された(*1)。

 1915年になるとUSNO管轄下の時刻局は8局となった。これらの局の送出フォーマットは、11:55に1秒間隔のドットを5分間送出する。ただし11:55~11:58については29秒目あるいは55秒目~59秒目はドットを送出しない。また11:59には最後の10秒、50秒目~59秒目はドットを送出しない。そして正午ちょうどに長いダッシュを送出した(*2)。アメリカの報時局の送信フォーマットはこれに準じている。

図2 NAA局のアンテナ

 NAA局は送信周波数や時間などの状況がめまぐるしく変わったので、『理科年表』の記載を表1のように一覧にしておいた。
 NAAは、1941年に閉鎖された。アンテナが近くにできる飛行場のじゃまになることや、Annapolisが業務の代替をできることなどの理由からである。

図3 NAA局のQSL

(*1)Wikipedia(英語版)"NAA(Arlington, Virginia)"
(*2)F.W.Dyson,"Wireless Time Signal",The Observatory Vol.36,1913

表1 NAA局の送信時間・周波数の変化

 
 (b) Great Lakes NAJ

図4 Great Lakesの地図

 NAJ局はミシガン湖のほとり、シカゴ市の北側に位置する。1919年に開局し、周波数151kHzで、17:00に送信が行われた。その後、『理科年表』第5冊(1929)では132kHzとなり、「第10冊(1934)」では104kHzと375kHzとなった。「第11冊(1935)」では再び121.9kHzへと戻っている。「第12冊(1936)」からは記述がなくなった。

図5 Great Lakesの海軍基地建物

 (c)Key West NAR

図6 Key Westの地図

 NAR局は、フロリダ半島南端からのびるフロリダキーズ(Florida Keys)と呼ばれる隆起した珊瑚礁の島々の先端にある。この島々は約290kmにおよび、道路でつながれている。最南端の島の一つ手前にアメリカ海軍の航空基地があり、ここが発信元と思われる。開設は1919年で、『理科年表』第2冊(1925)では、周波数205kHzで3:00に、周波数151kHzで17:00に送信が行われた。しかし「第3冊(1926)」では205kHz、17:00のみとなった。「第5冊(1929)」では周波数が102kHzになった。「第11冊(1935)」まで記載があった。

 (d) New Orleans NAT
 
図7 New Orleansの地図

 フロリダ半島のつけねから西に約600kmのところにNew Orleansはある。『理科年表』にある経緯度で位置を調べると、市内を流れるミシシッピ川の川岸に軍事施設が近くにあり、ここが発信元である可能性がある。「第2冊(1925)」によれば、164kHzで17:00に送信が行われた。「第3冊(1926)」では115kHzとなり、以後周波数は若干の変更があった。「第9冊(1933)」では104kHzと375kHzとなった。「第12冊(1936)」以降は記述がない。

 (e)North Head(Astria) NPE

図8 Astriaの地図

  この局は「理科年表第4冊(1928)」までは"North Head"(124°4'31"W,46°17'56"N)という地名だったが、「第5冊(1929)」から"Astria"(123°50'51"W,46°11'5"N)に変更された。みたとおり経緯度は若干異なる。調べると、North Headはコロンビア川河口の北側にあり、Astriaは対岸の南側にある。North Headには灯台があり、ここが送信地ではないかと推測される。Astriaは「第5冊(1929)」にある経緯度(123°49'36"W,46°9'12"N)では、Astria市内の南を指し、横を”Wireless Road"という名称の道路が走っているのが暗示的である。
 NPE局は1919年に開局した。『東洋燈臺表』1920年版では7:00送信とあるが、送信周波数は記載がない。『理科年表』第2冊(1925)では111kHz、20:00とある。「第6冊(1930)」では102kHzとなった。『東洋燈臺表』1929年版では送信時刻が17:00となっている。

 (f)Mare Island NPG

図9 Mare Islandの地図

  NPG局はアメリカ西海岸に最初に建設された海軍の送信所で1904年に開設された。サンフランシスコ市の北側に位置する。ここには1854年に海軍の造船所が作られた。そして1865年には天文台が建設され、時刻信号が提供された。局には40m高の木製マスト・アンテナが建てられた。1912年には5kWの間歇火花ギャップ送信機が設置され、1915年には30kWの電弧送信機となった(*3)。『東洋燈臺表』1920年版によれば、NPG局は1919年から8:00と18:00に時刻を送信した。周波数の記載はない。『理科年表』第2冊(1925)では30.6kHzと157kHzで6:00に、65kHzで20:00に送信が行われたとある。送信時刻と周波数は様々に変化しているので、一覧を表3に示す。また送信フォーマットを表2に示す。

図10 NPG局の送信設備

表2 NPG局の送信フォーマット

表3 NPG局の送信時間・周波数の変化

(*3)"Mare Island Naval Radio Station" https://www.history.navy.mil/our-collections/photography/technology/communications/radio/ug-21--us-naval-california-radio-station-collection/
mare-island-naval-radio-station.html

 (g)Arguello Point NPK
 
図11 Arguello Pointの地図

 Arguello Pointはロサンゼルスから海岸線に沿って200kmほど北上したところにある岬である。送信所は、この岬にある灯台の近くに1906年2月に建設された。アンテナは53m高の木製マストに架けられた。送信機は2kWの間歇火花送信機で、198kHz、315kHz、397kHz、500kHzで電波を送出した(*4)。この局は『東洋燈臺表』1920年~1922年版のみの掲載で、コールサインの記入はなかったが、別資料(*5)で「NPK」と判明した。「1920年版」では7:00に報時信号を発したと書かれている。周波数の記載はなかった。送信フォーマットはNPG局と同じである。

図12 NPK局

(*4)"Point Arguello Naval Radio Station" https://www.history.navy.mil/our-collections/photography/technology/communications/radio/ug-21--us-naval-california-radio-station-collection/
point-arguello-naval-radio-station/ug-21-12-04-point-arguello-naval-radio-station.html
(*5)"Goverment Land and Ship Radio Stations, Alphabetically by Calls" https://www.navy-radio.com/commsta/prewar/1919-callsign-ship-shore.pdf


 (h)San Diego NPL

図13 San Diegoの地図

 サンディエゴはメキシコ国境から20kmと離れていない太平洋に面した都市である。ここには海軍基地があり、おそらく報時電波はここから発せられたと思われる。最初の局の位置はポイントローマ半島の中ほどであったが、『東洋燈臺表』1927年版ではサンディエゴ市内東部へと移っている。NPL局の開設は1919年である。『東洋燈臺表』1920年版には7:00に報時信号が発せられたとある。『理科年表』第2冊(1925)には、周波数30.6kHzで20:00に発したとある。「第3冊(1926)」では周波数195kHzが追加された。「第5冊(1929)」になると195kHzが102kHzに変更され、送信時刻も17:00となった。以後「第9冊(1933)」まで変更はなく、「第12冊(1936)」より記載がなくなった。送信フォーマットはNPG局と同じである。

 (i)Eureka NPW

図14 Eurekaの地図

  Eurekaは太平洋岸の都市である。Eurekaの近郊のTable Bluffに送信所が作られたのは1906年のことである。局には5kWの間歇火花送信機が設置され、125kHz、150kHz、157.5kHz、198kHz、315kHz、500kHzで電波を送出した(*6)。NPW局の開設は1919年である。『東洋燈臺表』1920年版では7:00に報時信号を発したとある。周波数の記載はない。『理科年表』では、第2刷(1925)に113.2kHz、20:00という記載がある。翌年には周波数が95kHzとなった。以後、「第5冊(1929)」では104kHz、「第7冊(1931)」では108kHzと動いている。「第9冊(1933)」には記載がない。報時信号の送信フォーマットはNPG局と同じである。

図15 NPW局

(*6)"Eureka(Table Bluff) Naval Radio Station" https://www.history.navy.mil/our-collections/photography/technology/communications/radio/
ug-21--us-naval-california-radio-station-collection/eureka--table-bluff--naval-radio-station0.html


 (j)Annapolis NSS

図16 Annapolisの地図

 Annapolisは首都ワシントンの東40km超の位置にあり、セバーン川の河口に面した都市である。ここにはアメリカ海軍兵学校(US Naval Academy)がある。この川をはさんだ対面をGreenbury Pointと呼ぶが、ここに送信アンテナが建てられていた。アンテナは4基の183m高の塔に架けられた。1922年にさらに2基が追加され、1938年には9基となった。送信機には500kWのPaulsen電弧送信機が使われた(*7)。NSS局の開設は1918年9月で、『理科年表』第2冊(1925)には、17.5kHz、3:00と17:00に送信とある。「第7冊(1931)」には送信時刻に8:00が追加され、周波数は17.8kHzとなった。翌年にはさらに5:00と21:00が追加された。「第9冊(1933)」では時刻0:00が、周波数8034kHzが追加され2波となった。「第11冊(1935)」では15:00が追加され、8034kHzは4525kHzに変更された。

(*7)Wikipedia(英語版)"NSS Annapolis"

 (k)Beltsville WWV
 
図17 WWVの建物と局員(1943)

 NIST(National Institute of Standards and Technology:国立標準技術研究所)の前身であるNBS(National Bureau of Standards:国立標準局)の科学者たちは、早くも1905年には無線周波数の伝播の研究を始めた。第一次世界大戦中、NBSは無線部門を創立し、防衛と航法のための無線技術開発のために軍と一緒に仕事をした。無線局のコールサインWWVは1919年10月にNBSに割り当てられた。最初の放送は1920年5月に始まったが、放送内容はイブニングコンサートであった。当時WWVはWashington D.C.にあり、波長600m、出力50Wの送信は、局から約40km離れたところでも聞くことができたという。これらの初期の実験音楽放送は、民間の放送局よりも約6ヶ月先行していた。

 WWV局が、他のラジオ放送局用の参照基準となる標準周波数信号を送信する目的になったのは、1922年12月のことである。標準周波数局WWVの最初のテストは1923年1月29日から30日にかけて、200~545kHzの周波数を包括して放送された。1923年3月まで、WWVは125~2000kHzまでの周波数で、毎月あるいは毎週のスケージュールに従い放送された。送信周波数の精度は「1%の1/3より良い」と評された。局の出力電力はこの時1kWであった。

 周波数用の信頼できる基準ゲージを必要としていたラジオ産業にとって、WWVの水晶発振器はその要望を満たすものだった。ラジオ局の数は増加していたので、電波利用の上から、各局がお互いにじゃまをしないように、全てのラジオ局には割り当て周波数通りに放送することが求められた。1928年、連邦無線委員会(Federal Radio Commission)は、各局に割り当て周波数の500Hz以内にとどまるよう求めていた。

 水晶発振器の技術や測定法の改良によって、1931年までにWWVの送信精度は10-3から10-6まで改善した。しかし、WWVの信号がミシシッピ川の西側エリアに到達しないことからWWV以外の局にもその役割を与えた。NBSの援助によって、スタンフォード大学のラジオ局6XBMは、1924年9月から1926年6月まで西海岸で標準周波数を送信した。また、ミネアポリス(ミネソタ州)のマサチューセッツ工科大学の局IXM及びゴールドメダル小麦会社(Gold Medal Flour Company)の局9XLも同じ役割を果たした。他の局が基準周波数として利用できるようになったため、WWVの打ち切りが1926年に発表された。しかし、多くの商用、政府及び個人のユーザーがWWV放送の継続と改善を求めて立ち上がった。WWVは廃止を免れ、5MHz一波のみを使用することになった。5MHzの放送は、水晶発振器によって10-6の精度でコントロールされ、1931年1月から150Wの送信機でカレッジパーク(メリーランド州)で始まった。送信スケジュールは、しばらくの間は毎週火曜日の朝2時間と夜2時間送信であった。1年以内に出力は1kWに増加され、精度は10-6未満となった。

図18 『Radio Digest』1924年10月18日号の記事

 WWV局の需要の拡大のためには新しい送信機とアンテナが必要となり、WWVは1932年12月にメリーランドのベルツビル(Beltsville)近くの農務省の地に移った。1933年4月、局は5MHz、30kWで放送しており、1935年には10MHz、15MHz(出力20kW)の放送が追加された。この頃、局の周波数は2×10-8以内にコントロールされていた。1937年6月に、標準音(A440)、秒パルス、標準時間間隔および電離圏速報が放送に加えられた。15MHzは一時20MHzの送信と置き替えられたが、1940年5月には元に戻された。そして1943年1月にMarylandに移転した。ここでは、5MHzと10MHzの信号は終日、15MHzの信号は日中のみの放送となった。送信出力は、8~10kWの間であった。1944年2月には2.5MHz、1kWの送信機からの夕方の放送が始まった。


【図の出典】
図2 NAA局のアンテナ Wikipedia(英語版) "NAA (Arlington, Virginia)"
図3 NAA局のQSL https://www.navy-radio.com/qsl/qsl-naa-27.JPG
図5 Great Lakesの海軍基地建物 https://cnrma.cnic.navy.mil/Installations/NAVSTA-Great-Lakes/
図10 NPG局の送信設備 https://www.history.navy.mil/our-collections/photography/technology/communications/radio/ug-21--us-naval-california-radio-station-collection/
mare-island-naval-radio-station.html
図12 NPK局 https://www.history.navy.mil/our-collections/photography/technology/communications/radio/ug-21--us-naval-california-radio-station-collection/
point-arguello-naval-radio-station/ug-21-12-04-point-arguello-naval-radio-station.htm
図15 NPW局 https://www.history.navy.mil/our-collections/photography/technology/communications/radio/ug-21--us-naval-california-radio-station-collection/
eureka--table-bluff--naval-radio-station0.html
図17 WWVの建物と局員(1943) "Time Signal Stations",M.Lombardi https://www.researchgate.net/publication/269527973
図18 『Radio Digest』1924年10月18日号の記事 https://www.jumpjet.info/Pioneering-Wireless/eMagazines/RD/RD_1924-10-18.pdf

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