戦前のハワイの報時局     2023.8.16
 (a)Pearl Harbor NPM  

 ハワイ諸島は、1795年にカメハメハⅠ世が統一、その後19世紀中頃にはイギリス、フランスがハワイの領有を主張した。19世紀末になるとアメリカがハワイを併合、のち1959年にアメリカの50番目の州に昇格する。パールハーバーにはアメリカの太平洋艦隊の基地が置かれている。

図1 Pearl Harborの地図

 「1920年版」の経緯度で位置を調べると、ホノルル市の海岸を指す。この版には"Pearl Harbor(Sandwich Is.)"という記述があり、ホノルル市をのぞむ湾内にSand Islandという島があることから、この島のことを指しているように思われる。アメリカ海軍の無線局が掲載された資料(*3)には、Pearl Harborに1906年~1916年に海軍の無線局があったことが記されている。その後、1916年にNPMが開設された地はHospital Point(1925年版の地点と同じ)と称する場所であった。場所の違いはこのような事情によるのではないだろうか。NPM局は1933年にオアフ島のLualualeiに移設された。7基の186m高の鉄塔が建設され、12台の送信機が稼働した。正式な開局は1936年のことである。

図2 NPM局のアンテナ

 NPM局の開局は1914年のことで、北米の項でも述べたように、San Diego、Philippineとを結ぶ太平洋無線網の一つとして建設されたものである。350kW電弧送信機と5kW間歇火花送信機が使用された(*4)。報時信号の開始は1919年からで、133kHz(波長2250m)で0:00と12:00に信号を発した。23:55:00から23:59:49まで毎分の29秒目と55秒目を除く各秒ごとに短符を発し予備信号とし、0:00:00に長符を発して報時信号とした。「理科年表第2冊(1925)」では24.8kHzが追加された。翌年には133kHzと26.1kHzに変更された。「第6冊(1930)」では放送時刻が0:00のみとなった。「第9冊(1933)」では周波数が38kHz、106kHz、8110kHzと変更された。翌年には16180kHzが追加された。「第11冊(1935)」になると長波がなくなり、短波のみとなった。

(*3)"History","Naval Computer and telecommunications Area Master Station(NCTAMS) Pacific"
  https://www.navifor.usff.navy.mil/Organization/Operational-Support/NCTAM-PAC/About-Us/History/
(*4)"US Naval Radio Station Pearl Harbor - NPM" https://www.navy-radio.com/commsta/pearl.htm

【図の出典】
図1 筆者作成
図2 NPM局のアンテナ https://www.navy-radio.com/commsta/pearl.htm

 
 
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