戦前の日本の報時局 2023.8.21 |
(a)日本~銚子 JCS |
図1 創設時の銚子無線電信局 日本の無線報時の始まりについて、「無線報時史」は、1908(明治41)年に海軍水路部が無線報時により東京-横須賀間の経度を測定したことをもって「日本における無線報時利用の濫觴」と記している。また、『天文月報』(1912年8月号)には、東京天文台から銚子無線電信局の送信機を動作させる試験が1911(明治44)年12月1日から行われ、1912(明治45)年9月1日から放送が行われるようになったとある。この放送はその後、正式放送となった。逓信省告示第545号によれば、銚子無線電信局(コールサインJCS)からの報時電波は500kHz、20:59(JST)から5分間放送された。 図2 逓信省告示第545号 銚子無線電信局は1908(明治41)年5月16日に千葉県海上郡銚子町平磯台(現銚子市川口町2丁目)に開局した日本最初の海岸局である。海岸局とは船舶との通信を目的に海岸に設置された無線局のことをいう。開局当初は波長300m(周波数1MHz)の普通火花送信機と約70m高の傘型アンテナが使用された。逓信省告示第545号に掲載されている銚子無線局からの送信フォーマットを図3に示す。 図3 告示第545号に記された送信フォーマット これによると、無線報時は21:00(JST)、同1分、同2分、同3分、同4分の5回行い、注意符号の送信ののち1秒間の長点を送る。その長点の始端が時刻を示す。 第1回目:午後8時59分00秒~55秒の間長点を送り、5秒休止ののち1秒の長点を送る。 第2回目:午後9時0分30秒~55秒の間"N"(-・)を送り、5秒休止ののち1秒の長点を送る。 第3回目:午後9時1分30秒~55秒の間"D"(-・・)を送り、5秒休止ののち1秒の長点を送る。 第4回目:午後9時2分30秒~55秒の間"B"(-・・・)を送り、5秒休止ののち1秒の長点を送る。 第5回目:午後9時3分30秒~55秒の間"4"(-・・・・)を送り、5秒休止ののち1秒の長点を送る。 最初に開局した銚子無線局は、1934年に川口送信所と改称された。この局は1939年に銚子市野尻町に移転し、椎柴送信所となった。川口送信所の跡地には銚子ポートタワーが建っている。 日本放送協会が1951年に発行した『日本放送史』の中に、当時のアマチュアがこの報時放送を聞く話が出ている。ラジオ放送開始前の1923(大正12)~24年頃は鉱石ラジオを作っても、ラジオ放送がまだなかったので聞くものがなく「船橋や銚子無線局の時報、気象通報、新聞電報を聞く位で満足せねばならなかった」と報時信号を受信して自作のラジオの性能を調べたことが書かれている(*1)。 (*1)『日本放送史』日本放送協会、1951.3、原典は『ラヂオの日本』中の中村安吉氏の話。 【図の出典】 図1 銚子無線電信局 http://prc77.livedoor.blog/archives/9974928.html 図2 逓信省告示第545号 『官報』第276号、1913年7月1日 図3 告示第545号に掲載されたJCS局の送信フォーマット 告示を参考に筆者作成 |
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