戦前のパナマの報時局     2023.6.6
 (a)Colón NAX  

図1 パナマの地図

 パナマは16世紀初頭にスペインの植民地となり、1821年にスペインから独立した。1946年にアメリカはパナマ地峡の通行権を獲得し、パナマ地峡横断鉄道を敷設した。1880年、レセップス(Lesseps)がパナマ運河開削工事を始めたが途中で頓挫、以後はアメリカが工事を続け、1914年に運河は完成した。

 Colónは、パナマ運河の大西洋側の入口にあたる。"Chronological History"(*8)によれば、Colón局の送信開始は1914年のことで、100kWの火花送信機が使用された。『理科年表』第2冊(1925)によれば、NAX局は185kHzで10:00と18:00に報時信号を送出した。「第3冊(1926)」では周波数が165kHzに変更された。「第5冊(1929)」では周波数が132kHz、送信時刻が4:00と18:00になった。「第10冊(1934)」からはColónの名称がGatúnに変更された。この変更について、「第4冊(1928)」の経緯度はColón市内を示し、「第10冊(1934)」の経緯度はGatún閘門付近を示す。名称変更などと合わせると、局の移転が行われたと考えられる。「第12冊(1936)」からは記述がなくなる。報時信号の送信フォーマットはNPG局に同じである。

(*8)"Chronological History",U.S.Naval Communications,2006 https://www.navy_radio.com/

 
 (b) Balboa NBA

図2 NBA局のヘリックスコイル

 Balboaはパナマ運河の太平洋側の入口にあたる。局の開設は1908年のことである(*9)。「第2冊(1925)」によれば、周波数43kHzで10:00と18:00に送信が行われた。周波数は微動するが46kHzで落ち着いた。「第5冊(1929)」では送信時刻が4:00と18:00になった。「第13冊(1937)」まで記載があったが以後はない。報時信号の送信フォーマットはNPG局に同じである。

(*9)"US Naval Communications Station - Balboa - Panama - NBA" https://www.navy-radio.com/commsta/balboa.htm (ただし(*8)には1914年開設とある。)

 (c)Darien

図3 Darien局

  当初、Darienという地名は運河内にあるダーリエン島(Isla Darien)のみであったので、ここだと思われたが、別の資料(*10)をみたところ、鉄塔の脇に鉄道線路がある写真を見つけた。これはパナマ地峡横断鉄道で、沿線にDarienという駅があったようだ。おそらくダーリエン島あたり一体をこう呼ぶのだと思われる。また、(*8)や(*9)にも"NBA at Darien"という表記があり、Darien自身はコールサインの割当てがないことからすると、Balboaの支局のような存在ではなかったかと思われる。

 Darienの海軍無線電信所から報時信号が送信された。無線電信所の開設は1915年のことで、200kW火花送信機が使われた(*8)。報時信号は6:00に発せられたとある。周波数は記載がない。Washingtonの天文台から無線電信で送られてくる信号に基づき信号を発したとある。この局は『東洋燈臺表』1920年~1922年版に記載があるだけで、『理科年表』には記載がない。送信フォーマットはNPG局に同じである。この局は1937年に閉鎖されたようだ。

(*10)"The darien Radio Station of the U.S.Navy(Panama canal Zone)",R.S.Crenshaw https://zenodo.org/record/1686168/files/article.pdf



【図の出典】
図2 NBA局のヘリックスコイル https://www.navy-radio.com/commsta/balboa.htm
図3 Darien局 https://zenodo.org/record/1686168/files/article.pdf

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