戦前のフィリピンの報時局 2023.12.25update |
(a)Cavite NPO |
図1 フィリピン・ルソン島の地図 16世紀後半からフィリピンを支配してきたスペインは、1898年、マニラ湾の戦いに敗れアメリカに支配を明け渡した。Caviteはマニラ湾の南側の陸地から湾に突き出た半島で、ここには米国海軍のカビテ海軍工廠があった。1915年に180m高の鉄製アンテナ塔が3基建設され、報時放送は1917年から始まっている。太平洋戦争開始前には上海から米国海軍の電波監視・暗号解読チームCASTがこの地に移ってきている。太平洋戦争開始後は電波は途絶えた。 NPO局は、周波数51.7kHzが3:00に、111kHzと57.7kHzが14:00に時報を送出した。以後、扱う周波数はめまぐるしく変わる。1930年頃には108kHz、56kHz、16070kHz、8034kHzに、翌年には短波の2波が8873kHz、13310kHzとなった。1934年頃には長波の56kHzが23.4kHzとなった。その翌年にはまた56kHzに戻り、短波の13310kHzが9050kHzとなる。さらにその翌年には短波に17744kHzが加わる。1938年頃以降は短波の9250kHzと12630kHzに落ち着いた。『東洋燈臺表』1931年版に掲載されていた送信フォーマットを表1に示す。 表1 NPO局の送信フォーマット NPO局に時報信号を提供していたManila Observatoryは、1865年にジェスイット教の宣教師たちによって開設されたもので、太平洋戦争時に破壊されたが、戦後1954年にケソンシティーのアテオネ・デ・マニラ大学の構内に再建された。 |
(b)Olongapo NPT |
Olongapoは、かつてはスペイン海軍の工廠があり、その後、アメリカ海軍が攻略し、海軍施設を置いた場所である。 この局は『東洋燈臺表』1920年版から「1922年版」に掲載されていた局であるが、コールサイン、送信周波数が書かれていなかった。別の資料で、この局のコールサインがNPTで、300kHz、5kWで電波を出していたことがわかった(*3)。「1920年版」では、15:00に報時信号を送出していたとある。「1920年版」に掲載されていた送信フォーマットを表2に示す。 表2 Olongapo局の送信フォーマット (*3)"Wireless Telegraph Station of the World", Bureau of Steam Engineering, Navy Department, Washington D.C., 1912.1 |
(c)Malabang(FA)・Jolo(FS) 2023.12追加 |
『日本無線電信年鑑』(以下、『年鑑』と略す)の大正10年版に次のような記述を見つけた。 「マラバング及キロの無線局にては毎日午前11時(0255-0300グリニッチ標準時)にマニラより陸上線にて送信されたるマニラ時間を更に廣く公布しカビテにある海軍無線局亦午前10.00時及午後10.00時(0255-0800及1355-1400グリニッチ標準時)に時報を公布す。」 図2 ミンダナオ島地図 1.「キロ」は「ホロ」か? このマラバングとキロという局について調べてみると、マラバングはMalabangのことで、ミンダナオ島の西海岸にあるマラバンという町であることがわかった。一方、キロ(印刷で字がつぶれているので「キヨ」かもしれない。)について調べたが、そのような地名を見つけることができなかった。当時の無線局の一覧を掲載している"Wireless Telegraph Station of the World"(1912年1月刊)を見ると、フィリピンの欄に"Jolo"という局を見つけた。これはホロという。私の考えでは、キロ(あるいはキヨ)は、ホロの記述間違いではないかと推測する。ここではホロということで論を進めていくことにする。ホロはミンダナオ島の西に位置するスールー(Sulu)諸島の1つホロ島にある町である。 『年鑑』には、他の個所でフィリピンの無線局について触れており、それによればこれらの局はアメリカ陸軍の通信隊が建設したもので、その後1903~1907年にかけてフィリピン政府に移管されたとある。先の"Wireless Telegraph Station of the World"では、MalabangとJoloの局の管轄がInsular Goverment(島政府)となっていた。 Malabang局は、コールサインFAで、波長425m(周波数706kHz)、3kWの出力であった。また、Jolo局は、コールサインFSで、波長425m(周波数706kHz)、3kWの出力であった。 このように、FA局とFS局はどちらも中波706kHzで、3:00UTCに報時信号を発していたということがわかった。報時のフォーマットについては記載されていないが、Cavite局について触れていることから、同局と同じフォーマットだったのではなかったかと思われる。 2.報時信号の伝送 先の引用中に「マニラより陸上線で送信されたるマニラ時間」とあるが、その模様が『年鑑』にあるので、以下に記しておく。 「時報は毎日午前11.00(0300グリニッチ標準時)に陸上線に依りマニラより全國の電信局へ向け發信せらる。中央觀測所の時計は陸上線にて常にマニラ郵便道信局の電信部と聯絡を保ち午前10.55時に至るや直に電信囘連結され信號を開始す。卽ち午前11.00時前三十秒に至れば中央局の技手は先づ電鍵にて廿秒間點を打信し以て送信時の迫れることを示し次の十秒間は電鍵を止めて正確なる受信を為さしむべく機械修正の餘裕を與ふるものとす。而して十秒の終りに於て長く太き横線を與へ以て時報を終り各局の時計を夫々修正せしむ。」 3.無線塔のある公園 さて、調べている中で、現在も米軍が建設した無線塔が残っている公園というのを見つけた。先のMalabang局にも関係があるので、記しておきたい。 その公園はKalamansigにあるMunicipal Plazaという。KalamansigはSultan Kudarat州に属するミンダナオ島の西海岸に位置する。アンテナ塔は、公園ではなく通りをへだてたスポーツ施設のグラウンドにあり、Googleで調べると、なんとRadyo Kadulangan(DXAO、FM92.1MHz)が現在使用している模様である。この鉄塔は1920年初頭に建設されたもので、コタバト、マラバン、ラナオを結ぶ通信基地として建設されたものであった(*4)。コタバトはCotabatoのことでミンダナオ島の西海岸にある。また、ラナオはLanaoでおそらくMalawi市にある場所だろう(複数の候補地があるので確定は難しいが、無線局の配置等を考えるとこれが妥当だと思われる)。 図3 無線塔のある公園 (*4)Wikiwand(英語版)"Kalamansig" 【参考】 ・『日本無線電信年鑑』大正10年版、無線電報通信社、1921.1 ・"Wireless Telegraph Station of the World",U.S.Bureau of Steam Engineering,1912.1 【図の出典】 ・図1・2:筆者作成 ・図3:Wikiwand(英語版)"Kalamansig" |
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