戦前のロシア(旧ソ連)の報時局     2023.5.28
 (a)Sankt-Peterburg(旧Leningrad) RET  

図1 ロシア国内の地図

  『理科年表』第2冊(1925)の経緯度ではレニングラードの港湾地区を示す。だが、「第8冊(1932)」のさらに詳しい経緯度で調べると市郊外の南部、有名なエカテリーナ宮殿の近くを示す。ここでは後者を採用しておきたい。RET局の開設年は不明だが、「第2冊(1925)」から登場している。周波数150kHzで19:00に、周波数42.2kHzで19:06に電波を発射した。「第5冊(1929)」では62.5kHz、19:00のみとなり、「第7冊(1931)」にはRNOという局が86.3kHz、19:00に電波を出した。「第8冊(1932)」ではRET局は78.5kHz、22:00と変更された。「第9冊(1933)」では、発信局の地がLeningradからDetskoye Seroとなる。経緯度はそのままである。Detskoye Seroはエカテリーナ宮殿の近くの地名なので、先ほどの推定通りである。また、RNO局の記述はなくなった。1936年版では長波から短波3797kHzへ変更された。「第14冊(1938)」以降は記述がない。

 時刻情報を提供していたのはプルコヴォ天文台(Pulkovo Astronomical Observatory)で、サンクトペテルブルクの南約20kmのプルコヴォの丘にある。開設は1839年、第2次世界大戦時にドイツ軍の空爆で破壊されるが戦後再建された。発信局とは約8kmの距離にある。

図2 プルコヴォ天文台
 
(b)Moscow RAI・RNO・RKD 

 RAI局は、「第2冊(1925)」の経緯度ではモスクワ市内を示すが、戦後に発行された「第27冊(1954)」の経緯度ではモスクワ市郊外西へ約20kmの地を示す。こちらも後者が正しいように思われる。RAI局の開設時期は不明。「第2冊(1925)」では周波数61.5kHzで22:00となっている。「第3冊(1926)」では40.1kHz、21:00に変更された。「第7冊(1931)」では送出時刻が16:00に変更、「第9冊(1933)」で元に戻るが、「第10冊(1934)」では14:00と16:00に変更された。また、「第9冊(1933)」では短波5769kHz、16:00が加わった。「第10冊(1934)」では、新たにRNO局(86.4kHz、14:00/16:00)とRKD局(10714kHz、14:00/16:00)が加わった。「第11冊(1935)」では、RAIが4:00のみとなり、RNOが3472kHz、RKDが10657kHzとなった。「第12冊(1936)」ではRNO局が消え、RAIが39kHz、RKDが10660kHzとなり、送信時刻が両局とも4:00、6:00、14:00、16:00と増えた。「第14冊(1938)」ではRAI局の記述がなくなり、代わりにRKE局(11560kHz、4:06/6:06/11:51/11:57/14:06/16:06)が登場する。RKD局は10670kHz、15640kHzとなり、送出時刻は6:06、11:51、11:57、14:06、16:06となった。「第16冊(1940)」からはRKE局のみとなる。「第18冊(1942)」ではRKE局に5780kHzが追加され、4:06、6:06、14:06、16:06の4回となる。この局は「第19冊(1943)」まで記載がある。
(c)Archangelsk REA・RGE(UGE)

 Archangelskは、モスクワの北1000kmの白海に面した都市である。『理科年表』の経緯度からは、同市の南約15kmの郊外の地が示される。REA局の開設年は不明。「第2冊(1925)」には、周波数500kHz、1:00送出が示されている。「第3冊(1926)」では周波数が120kHzに、送出時間が13:00に変更されている。「第5冊(1929)」になると、REA局の記述が消え、代わってRGE局(182kHz、13:00)が登場する。「第9冊(1933)」では375kHzと変更され、「第12冊(1936)」では420kHzとなった。「第14冊(1938)」以降は記述がない。RGEのコールサインがUGEになったのは「第11冊(1935)」からである。



【図の出典】
図2 プルコヴォ天文台 Wikipedia(英語版) "Pulkovo Observatory"

 <戦前のヨーロッパの報時局>     <世界の標準周波数報時局>     <HOME>