戦前のスリランカの報時局     2023.5.24
 (a)Colombo VPB  

図1 コロンボ市内の地図

 スリランカは旧国名をセイロンと称し、1802年にイギリスの植民地となった。『理科年表』の経緯度を調べると、現在はSri Lanka Telecomとなっている。この会社は1858年創業とのことなので、この会社が送信に関係していた可能性がある。コロンボにあったVPB局の開設年は不明である。同書「第2冊(1925)」に周波数130kHz、6:00で電波を送出したことが出ている。翌年には18:00が追加され、さらに周波数500kHz、17:00が追加された。「第5冊(1929)」では周波数500kHzはなくなり130kHzのみで、6:00と17:00となった。翌年再び500kHz、17:00が復活、130kHzは6:00のみとなる。「第14冊(1938)」以降は記述がない。

 香港のところで述べたように、VPではじまるコールサインは、英領植民地及び保護国に割り当てられたものだ。時刻の信号を供給していたのは、1920年代に創建されたコロンボ大学の天文台と思われる。VPB局と天文台との距離は約1kmほどである。この天文台は1942年にあった日本軍のコロンボ爆撃で被害を受けた。送信フォーマットを表1に示す。


表1 VPB局の送信フォーマット

 
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