| 無線報時信号転送にまつわる話 | |
| <BACK> update:2026/06/15 | |
| 1.はじめに 膨大な資料を基にした「History of Citizens Band Radio」というサイトがある。この中に「標準電波の歴史」というページがあり、私もよく参考にさせていただいた。このページの最後に無線報時信号について述べた箇所があり、先日読み直していたところ、陸軍が船橋無線局の短波報時電波が不正確だから、長波報時電波を受信し、自前の送信所から短波で再送するという記事があった。通達は陸軍のもので、調べたところアジア歴史資料センターで当該文書を見つけた。この記述どうもよくわからないところがある。筆者は、陸軍の海軍に対する「いけず」ではないかと思っているが諸兄はどう思われるだろうか。 2.通牒「測量用時報ノ件」 1941(昭和16)年5月7日付の「陸支密第1299号」という通牒がある。題名は「測量用時報ノ件」である。全文を以下に掲載する。 図1 通牒「測量用時報ノ件」表紙
この通牒には付箋が貼られており「至急ヲ要スルニ付航空便(中央無線宛ヲ除ク)ニテ発送方取計ハレ度 交通課」とある。内容は、船橋から送信されている短波報時電波が不正確なので、長波報時電波を受信して、自前の設備から短波で再送信するという内容である。 3.満蒙測量とは この報時電波の転送について検討する前に「満蒙測量」について説明しておこう。 図2 基線と三角測量模式図当時の測量は三角測量という方法が使われていた。2点間をを結ぶ線を1辺とし、両方の点から見た目標物(三角点)の角度をそれぞれの点で測定し、三角形を構成する。これをつなげていくという方法である。地図を作るには基準点の緯度・経度が明確でなければならないから、経緯度の測定が欠かせない。この基準点を経緯度原点という。満州の場合は新京(現長春)郊外の歓喜嶺に置かれた。経度の測量は、クロノメーターで正しい時間を測定し、その時間の恒星の位置を観測することで計算できる。このクロノメーターの補正に無線報時が使用された。経度は15回測定し精度±0"26、緯度は80回測定し精度±0"08、方位角は72回測定し精度±1"00であった。こうして原点の経緯度を、北緯43°49'36"22、東経125°18'15"424、方位角204°46'54"497とした。 図3 満州の経緯度原点の標経緯度原点を基準として、三角形の一辺を決める必要がある。これを一等基線という。この基線を基に三角網をつなげて測量を行っていく。従来はヨーロッパ式で全土を網目のように網羅する方式をとっていたが、満洲の場合は平坦地が多いため、アメリカ式の三角形を鎖のようにつないでいく、三角鎖方式が採用された(図4参照)。この三角形の一辺はおよそ250kmであった。満洲の測量では、三角測量のたびに恒星の観測が求められたので、そのつど無線報時信号を受信しクロノメータを校正した。 日本の測量は陸軍参謀本部長直属の組織である陸地測量部が行っていた。大正末期に日本全国の5万分の1地形図が完成すると、陸地測量部の事業の重点は、朝鮮・台湾・樺太・満州等の外地に向けられた。満州事変が1931年に勃発すると満州での測量が急務となったが、人手が足りず、1933年3月に陸軍軍人の中から抜粋した者を教育し、9月に送り出した。地図の作製のためには様々な目標物を書き込まなければならないが、これには航空写真が活躍した。こうして1935年には1万分の1の地図が、1936年には250万分の1が出版された。 これらのことから、先の通牒が出された1941年には満洲の測量は基本的に終了していたと言える。1941年頃は蒙彊地区すなわち内モンゴルや新疆の測量が行われていたようだ。ただし、当時は関東軍測量隊(これは1934年に陸地測量部を中心に編成された)の他に、陸軍に従軍して測量を行う野戦測量隊があったから、こちらの方の動きは国土地理院の『百年史』からは知ることができない。 4.当時の無線報時 1940年頃は、日本には無線報時局は2つあり、1つは銚子(JCS)で、もう1つは船橋(JJC)であった。JCSは500kHzの中波を用い、11:03と21:03JSTに信号を分報時式で出していた。JJCは長波39kHzと短波7735kHzと15470kHzで出していた。測量に使われたのはJJCの方である。39kHzは21:00JSTに学用式で21:03に分表示式で、7735kHzは21:00と23:00JSTに学用式で、15470kHzは11:00に分表示式で出していた。JJCでは、長波は真空管式長波送信機(零式03号)出力150kWを用い、短波は真空管式短波送信機(九七式01号)出力15kWを使用していた。船橋は、海軍の船橋無線電信所の設備を報時用に逓信省が借用していたので、設備は海軍のものである。 この報時信号の受信については、満洲(中国東北部)であるから、夜間であれば短波、長波共に受信可能であったと思われるが、以下のような記載を見つけた。「陸軍に於いては昭和6年(1931)満州事変以降始めて短波無電受信装置を以てする経度の測定が行なわるるに至り、満州国の測量に大いに活躍」(*1)とあった。これには長波ではなく短波が使用されたとある。しかし、測量隊が満州に派遣された1933年頃はJJCはまだ短波での送信はしておらず、39kHzの長波のみの送信であった。短波送信が行われるようになったのは1938年6月以降のことである。したがって、満州での基本測量が行われた時期の無線報時信号には長波が使われたとなる。 一方、報時信号を転送したという陸軍中央無線電信所(『日本無線史』では「陸軍中央無線通信所」という表記になっている)についてみてみよう。陸軍中央無線電信所の前身は東京中野にあった中野無線電信所で、設立は1921年のことである。その後、赤羽に受信所を設け、1932年頃に中央無線電信所となった。当時は満州事変の直後だったこともあり、東京電気(株)より5kWの短波送信機の寄贈を受けている。これが転送に使われた送信機ではないかと推測する。アンテナは40m高と30m高の木柱に水平に二段4本の水平部を備えた指向性を持ったものである。 図4 満州の一等三角網図5.なぜ「いけず」と思ったか 先に述べたように、無線報時信号は1933年からの測量で使用され、高い精度で測量が行われたことがわかっている。この時の測量の経緯度原点は満州の新京にあったが、一方朝鮮(現在の大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国)での測量は日本の経緯度原点(当時の東京天文台(港区麻布2丁目)の子午環の中心)を基準に測量が行われた。その結果、朝鮮と満州地図を合体させる時点になって、この境にある鴨緑江では川幅が実際よりも数百m広くなってしまったという。これは東京の原点が間違っていたためであった(*2)。それはつまり、満州の測量は正確に行われていたということを意味する。 測量に使用された無線報時信号には学用式が使用されていた。これは1分間(60秒間)に61個の信号を送る方法で、1/100の精度で時刻の誤差を知ることができた。通牒では、長波には誤差がないが、短波には誤差があるとの記述が見えるが、当時の船橋では東京天文台からの電信線で報時信号を出しており、これは長波も短波も同じ系統から来ていたと思われるので、短波にだけ誤差があるという記述はよくわからない。『東京天文台 無線報時史 第2部資料編』には、三鷹国際報時所での長期のJJCの受信記録があるが、長波では±0.005秒~±0.008秒(1931年~1934年)に対し、短波では±0.005秒~±0.006秒(1938年~1945年)の精度があったと述べており、長波と短波で精度にはほとんど差がなかった。 最後に思い至ったのは、当時の陸軍と海軍との対立である。これはよく知られた話で、明治の頃からずっとそうであり、先の大戦では手が付けられないような状況だったといわれる。船橋送信所は海軍の設備を使用したものであり、このことが測量という重要な任務に海軍の手を借りているという負い目を感じていたため、このような受信電波を転送するという措置があったのではないか。これは私の勘ぐりかもしれないが、あり得る話ではある。 さて終わりにあたりもう1つの推測について述べておくのが公平というものだろう。実はJJCは、この通牒があった同年の7月28日から長波はそのままだが、短波の周波数を7735kHz/15470kHzから9260kHz/13640kHzへと変更している。夜間の使用周波数を7735kHzから9260kHzへと変更しているのである。告示には変更理由は書かれていないが、陸軍から変更の申し入れがあったと考えると納得できるものはある。 (*1)髙木菊三郎「我国の地図製作に用いられたる天文測量」、『測地学会誌』1957.4巻2号(1957年12月15日) 「満州国建国後」の測量に短波が使用されたというのは記憶違いであると思われる。 (*2)「日本の測量史」https://uenishi.on.coocan.jp/j700rikuchi.html 【図の出典】 図1 通牒「測量用時報ノ件」表紙 参考:陸支密第1299号 図2 基線と三角測量模式図 参考:国土地理院 ことばのミニ辞典 図3 満州経緯度原点 https://www.ripro.co.jp/yamaoka/archive/ac-otona/shiseki-zenkoku.pdf 図4 満州の一等三角網図 参考:測量・地図百年史 【参考資料】 ・「測量用時報ノ件」陸支密第1299号 https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/C04122972800 ・「History of Citizens Band Radio」https://sites.google.com/site/cb465mhz/JJY ・『測量・地図百年史』国土地理院、1970年3月 ・『日本無線史』第9巻(陸軍無線史)、電波監理委員会、1951年3月 ・『日本無線史』第10巻(海軍無線史)、電波監理委員会、1951年9月 ・「国土地理院 ことばのミニ辞典~近代測量150年特別編⑪「基線測量」~」 https://www.gsi.go.jp/common/000220899.pdf (OG) |
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