■標準時報局 JJY(日本)■
おおたかどや山頂アンテナ
3.なぜ長波帯JJYなのか
短波帯のJJYは長波帯JJYの新設に伴い、2001年3月31日をもって廃止が決まりました。ではなぜ、長波帯JJYへ移行するのでしょうか。
1999年5月18日付の報道機関への発表によれば、「伝搬特性上の問題、近隣諸外国の標準電波との混信などの問題が顕著になり、CRLでは、短波帯の標準電波に比べ、受信周波数精度が格段に高いこと、周波数情報や時刻情報の利用が容易であることなどの利点がある長波帯の電波を利用した標準電波の送信実験を行い、技術的にその特性を確認してきたところです。」とあります。
CRL(郵政省通信総合研究所)は、JG2ASで実験を重ね、1997年10月27日に郵政大臣の諮問機関である電気通信技術審議会(会長:西澤潤一(前東北大学総長))に「標準電波の高度化及び新たな利用拡大に向けて」諮問を行い、翌年4月21日に答申を得ます。
この答申から移行についてのいくつかの理由を読みとることができます。
@短波帯の電波は、特に西日本において近隣諸国の標準電波との混信が多い。
A欧米では、短波帯による運用から長波帯による運用へ移行している。
B欧州では、標準電波に重畳して伝送されているタイムコードを活用した電波時計が普及している。
C長波帯の利用によって周波数、時刻精度が1000倍程度向上する。
D長波帯に移行しても、現在の短波帯利用者は、長波帯の標準電波、テレホンJJY、GPS、諸外国の標準電波、放送等の代替手段の利用が可能である。
4.長波帯JJYで何が変わったか
長波帯のJJYになったことで何がかわったのでしょうか。
まず第1に周波数が40kHzになったことですね。(当然!)
第2に空中線電力が50kWとなったことです。短波JJYの空中線電力は2kWでした。
第3に送信施設の変更です。短波JJYではNTT名崎送信所(茨城県猿島郡三和町)から送信されていました。
第4に周波数、時刻の精度の向上です。以下の表を見ればその差は歴然としています。
┌───┬────┬─────────┐ │ │時刻精度│周波数精度 │ ├───┼────┼─────────┤ │短波帯│ 10mS │1×10-8 │ ├───┼────┼─────────┤ │長波帯│1〜20mS │1×10−10〜10−12│ └───┴────┴─────────┘
実は短波JJYは、送信段階では±1×10−11の精度があるのですが、電離層の反射などにより、精度が1×10−8程度に落ちてしまうのです。日の出、日没時にはさらに精度が低下するそうです。
第5にタイムコードの高度化です。従来のタイムコードと互換性を保ちつつ、年、曜日、うるう秒、パリティー、予告ビットなどが付加されました。詳しくは後述します。
このように長波JJYでは、電波時計など各種のデジタル処理ができるような情報をもった内容に「変身」しているのです。
その2:長波JJYの施設・設備とタイムコード体系
時刻信号管理室 送信機室
1.施設・設備
長波JJYの送信所おおたかどや山送信所は、北緯37゜22´、東経140゜51´にあり、電波形式はA1B(A:両側波帯、1:副搬送波を使用しないデジタル信号の単一チャンネル、B:電信(自動受信))、変調波は1Hz、変調波の振幅は10〜100%、周波数および時間の精度は±1×10−12となっています。
図1
図1に標準信号発生から送信までのブロック図を示します。これを見ると、おおたかどや山の施設・設備で単独運用をしていることがわかります。この図を見るまでは、標準信号は小金井のCRL(通信総合研究所)から送られてくるものだとばかり思っていたのですが、小金井は原子時計の基準信号のチェック機能を果たしているだけです。基準となる原子時計は3台あり、この原子時計の出力を相互にチェックして、基準信号を作り出しています。
また建物の見取り図には「展示室」と称する部屋があります。一般に公開しているんでしょうか?どんなものが展示してあるのか興味がありますね。
パンフレットによれば、九州局の建設について平成11年〜13年に整備予定とありますので、日本全体が1000km、50〜60dBの信号強度でおおわれることになります。
2.タイムコードについて
短波JJYがDUT1(世界時補正値)信号情報しか含んでいないのに対して、長波JJYではたくさんの情報を含んでいます。これを「タイムコード情報」と称しています。タイムコード情報には、時、分、通算日、年、曜日、うるう秒情報、時と分に対するパリティ、停波予告情報などがあります。このうち時、分、通算日、年、曜日についてはBCD(2進化10進法)で表示されます。
(1)タイムコード体系
通常時のタイムコード
毎時15分、45分のタイムコード
(2)タイムコード情報の意味
@時(6ビット):24時間制日本標準時の時をあらわす
b1 b2 b3 b4 b5 b6
20時 10時 8時 4時 2時 1時
(例)010110 → 10時+4時+2時=16時
A分(7ビット):日本標準時の分をあらわす
b1 b2 b3 b4 b5 b6 b7
40分 20分 10分 8分 4分 2分 1分
(例)1010101 → 40分+10分+4分+1分=55分
B通算日(10ビット):1月1日を1とした通算の日をあらわす。従って、12月31日は平 年は365、うるう年は366とあらわされる。
b1 b2 b3 b4 b5
b6 b7 b8 b9 b10
200日 100日 80日 40日 20日 10日 8日 4日 2日 1日
(例)0110010110 → 100日+80日+10日+4日+2日=196日
C年(8ビット):西暦年の下2桁をあらわす
b1 b2 b3 b4 b5 b6
b7 b8
80年 40年 20年 10年 8年 4年 2年 1年
(例)10011001 → 80年+10年+8年+1年=99年(1999年)
D曜日(3ビット)
000:日曜日 001:月曜日 010:火曜日 011:水曜日
100:木曜日 101:金曜日 110:土曜日
Eうるう秒情報(2ビット):うるう秒は日本時間で実施月の1日9時に行われる。
うるう秒情報は、実施前月2日9時0分より実施月8時59分まで継続して表示される。
00:1ヶ月以内にうるう秒なし
11:1ヶ月以内に正のうるう秒(挿入)あり
10:1ヶ月以内に負のうるう秒(削除)あり
Fパリティ(2ビット):時と分の偶数パリティをあらわす
PA1:時間ビットをすべて加算し、2で割った余りの数値であらわす
PA2:分ビットをすべて加算し、2で割った余りの数値であらわす
G予備ビット(2ビット):夏時間が制定された場合などに対応するため
H停波予告ビット(6ビット):保守作業などで停波する場合に使用する
ST1 ST2 ST3 ST4 ST5 ST6
ST1〜ST3:停波開始予告
000:停波予定なし
001:7日以内に停波
010:3〜6日以内に停波
011:2日以内に停波
100:24時間以内に停波
101:12時間以内に停波
110:2時間以内に停波
ST4:状態情報
1:昼間のみ
0:終日、または停波予定なし
ST5〜ST6:期間情報
00:停波予定なし
01:7日以上、または期間不明
10:2〜6日以内
11:2日未満
このように長波JJYでは、多くの情報を電波にのせていますから、これらの情報を取り出すことによって、いろいろな分野で活用することができます。
3.標準電波の誕生から終戦まで
日本における標準電波の最初の発射は、1940年1月30日のことである。千葉県の検見川送信所から、4MHz(呼び出し符号:JJY)、7MHz(JJY2)、9MHz(JJY3)、13MHz(JJY4)の4波が送信された。出力は5kW、電波形式は「標準持続電波」(A1)と「標準変調電波」(A2)である。A2形式の変調周波数は1kHzであった。電波の発射時間は今
のように24時間ではなく、週1回、表1のようなスケジュールで行われた。ただし、祝祭日はお休みである。
┌───┬────────────────┬────────────────┐ │ │ 標準持続電波(A1) │ 標準変調電波(A2) │ ├───┼─┬──────────────┼─┬──────────────┤ │4MHz │ │15:00-15:30, 21:30-22:00 │ │15:00-15:30,21:30-22:00 │ ├───┤毎├──────────────┤毎├──────────────┤ │7MHz │週│14:00-14:30, 20:00-20:30 │週│14:00-14:30,20:00-20:30 │ ├───┤火├──────────────┤金├──────────────┤ │ │曜│11:30-12:00,13:00-13:30, │曜│11:30-12:00, 13:00-13:30, │ │9MHz │日│19:00-19:30 │日│19:00-19:30 │ │ │ │(1月〜4月,9月〜12月) │ │(1月〜4月,9月〜12月) │ ├───┤ ├──────────────┤ ├──────────────┤ │13MHz │ │11:30-12:00, 13:00-13:30 │ │11:30-12:00, 13:00-13:30 │ │ │ │19:00-19:30(5月〜8月) │ │19:00-19:30(5月〜8月) │ └───┴─┴──────────────┴─┴──────────────┘
送信の形式は次の通りである(4MHzの場合)。
CQ CQ CQ DE JJY
JJY JJY STD FREQ −・・・−
上記の呼び出し符号に続いて約9分間電波を送信し、送信時間中これを繰り返すとなっている。1回30分の送信なので、3回の繰り返しであったろう。
標準電波の確度について、官報は約百万分の一(10−6)としているが、当時の技術水準ではこれを維持することはかなり難かしかったものと思われる。
その後、第2次計画として翌1941年より4ヶ年計画で、送信出力のアップ(20kW)や周波数標準器の検見川移転などが計画されたが、太平洋戦争勃発のため中断された。
1944年6月1日、周波数標準器が岩槻から幕張に移されたのを契機に、送信周波数が4(JJY),8(JJY2),12(JJY3),16MHz(JJY4)に変更された。(*注1)
1945年8月15日、終戦により電波の発射が停止され、1946年4月の再開まで停波することとなる。
検見川無線送信所(1940年)*参1より
*注1)『資料集 日本の短波放送』(日本短波クラブ、2000年1月31日発行)によれば、これに先立つ1943年8月1日にJJY2の周波数が8MHzに変更され、JJY(4MHz)の送信時間が24時間となったとある。しかし、参考にした『標準電波50年の歩み』にはない。
4.終後から小金井移転まで
(1)戦後まもなく
太平洋戦争の終わった8月から翌年の4月までJJYは電波の発射を中断される。戦後のJJYは4MHz、8MHzで再開するが、同年12月5日には12MHzが追加された。同時に5kWで再開した空中線電力が、なぜかこの時2kWにパワーダウンしている。
JJYに周波数標準としての役割だけでなく、時刻標準としての機能が付け加えられたのは1948年8月1日のことである。4MHzでの報時が正式に開始された。時刻精度は0.03秒であった。
報時機能が追加された背景には、同年4月に礼文島で行われた日蝕観測の際、標準電波に時分信号をのせたものを利用し良い結果が得られたということがあった。
┌────┬────────────────┬───────┬───────┐ │ │ 周波数 │ │ │ │電波形式├────────┬───────┤ 呼出符号 │ 使用時間 │ │ │搬送周波数 │ 変調周波数 │ │ │ ├────┼────────┼───────┼───────┼───────┤ │ 標準 │ │ │ │ 毎偶数時間 │ │ │ 8MHz │ │ JJY2 │ │ │持続電波│ │ │ │ 31分〜36分 │ ├────┼────────┼───────┼───────┼───────┤ │ 標準 │ 4MHz │ 1kHz │ JJY │終日毎奇数時間│ │ │ │ │ │ │ │変調電波│ 8MHz │ 1kHz │ JJY2 │54分〜30.01分 │ └────┴────────┴───────┴───────┴───────┘ 表1 1948年8月1日時点での標準電波発射方法
小金井の庁舎
2.小金井移転
5.さらなる精度を求めて
小金井局舎は1951年に鉄筋コンクリート160坪が完成し、周波数標準施設、電源施設が移される。また1954年には鉄筋コンクリート220坪が完成し、送信機や受電設備を移設している。1959年には地下8mに新原器室を建設し、二重恒温槽付きの水晶発振器を設置した。新原器室には空調機が取り付けられ、室温変動±1.5度℃以内、湿度約50%に保つことができたので、周波数確度は5×10−9まで向上した。
局舎(1954)送信機室(1954)
1957年1月1日から表のように標準電波の発射方法を段階的に変更した。このときに1955年に設置したエンドレステープ録音再生器を使って、標準電波に音声符号が挿入された。
これをみると、従来の5波発射から段階的に8MHz、4MHzを停波し、5MHzシリーズに移行していることがわかる。これはCCIR勧告によるものである。その後8MHzは1958年に実験局JG2AEとして復活している。また、1957年7月から国際地球観測年(IGY)の一環として世界日警報を標準電波に重畳して発射している。
小金井のコンクリート局舎が完成した時期(1951)には、地下の原器室には6台の水晶発振器が設置され、これらを三鷹の東京天文台で観測した地球自転時UT2で較正したものを使用していた。
制御監視装置(1953)新原器室(1959)
しかし、UT2を使った周波数・時間標準は1×10−8が精度限界だということがわかったため、1961年9月から原子時が導入されることとなった。1963年のCCIRの勧告では、年毎のオフセット値(50×10−10)を国際報時局(BIH)で決定し、秒信号の調整は世界同時に行うこととなった。しかし、この方式は秒の定義(*)通りの周波数が発射されず、しかもその値が年毎に異なるという不合理な面を持っていたため、不満が高まり、1972年から協定世界時(UTC)が採用されることとなる。
(*)『秒はセシウム133原子の基底状態の二つの超微細準位の間に対応する放射の9,192,631,770周期の継続時間である』[1967年の第13回国際度量衡総会で決定]
6.名崎への送信施設移転
1965年(昭和40年)頃になると、小金井の付近も住宅が建ち並ぶようになり、標準電波アンテナ周辺の電波障害が問題となってきた。小金井庁舎建設から約20年を経て、移転計画が実施されることとなった。当初は自前の送信所建設計画もあったが、周波数標準部の本所移転と送信業務のNTT委託という決定におちついた。ところが、NTTにも短波送信所の統合計画があり、このため移転計画は3年の遅れた末に実施された。
名崎送信所 発射制御装置
小金井緑町から小金井貫井北町への周波数標準施設の移転は1974年6月から翌年1月にかけて行われた。また、茨城県猿島郡三和町にあるNTT名崎送信所への送信施設の移転は1977年12月に完了した。名崎では各装置を小金井から遠隔制御し、定期点検以外は無人運転するということも行われた。発射休止時間を毎時35分〜39分とすること、8MHzの出力を0.5kWから2kWとすること、認識信号を10分ごとにすること、1kHz変調を5分ごとにすること、などの変更が引き継がれ、そのまま現在のJJYの発射方式となっている。
この名崎移転に伴い、長波実験局も名崎へと移転となった。長波実験局は、1959年5月15日から16.2kHz(JG2AQ)が0.1kWで開始される。この局は1960年11月には出力が3kWに増強される。送信は小金井の緑町からであった。長波実験局の開始は、長波が短波に較べて極めて安定で、高精度の周波数を供給可能であることがわかり、にわかに注目されるようになったためである。
長波40kHzアンテナ QSL(1954)
1962年1月1日から20kHz(JG2AR)が追加され、同じく3kWの出力で運用されてきたが、独立した送信所の建設は困難であったため、防衛庁の協力を受けて1966年1月20日から40kHz(JG2AS)、10kWの発射が検見川から開始された。16.2kHzは1963年4月に停波している。20kHzは1977年11月、名崎移転を機会に停波し、40kHzのみが送信所を検見川から名崎に移して運用を続けることとなった。
QSL(1967) QSL(1995)
ご承知のように、長波JJYの開始によって、短波JJYは2001年3月31日をもって廃止されることが決定されている。JJYだけでなく、短波を使用した様々なユーティリティー局がぞくぞくと廃止されてきているのを見ていると、通信の本来の使命である「安定した通信」の追究の結果ではあるが、長年、短波に親しんできたものとしてはなんとも寂しい限りである。(了)
【参考資料】
*参1)『標準電波50年の歩み』郵政省通信総合研究所、1991年
*参2)『資料集 日本の短波放送』日本短波クラブ、2000年1月
*参3)『無線百話』無線百話出版委員会編、クリエイト・クルーズ、1997年7月