三鷹国際報時所(JGT) 
<BACK>  update:2022/09/26
1.はじめに
 三鷹国際報時所は、三鷹の東京天文台敷地内にあった各国の報時信号を受信するための施設であった。受信施設ではあったが、ある短い期間だけ実験的に報時信号を送信していたこともあった。筆者自身もこれまでこうした施設の存在を知らなかったが、前号で紹介した『東京天文台 無線報時史』で知った次第である。そこで、業務について記しておくことにした。

2.三鷹国際報時所の設置
 1922年5月、ローマで国際測地学及び地球物理学連合(International Union of Geodesy and Geophysics:IUGG)の第1回総会(1st General Assembly of the IUGG)が開かれ、ここで長波報時局のボルドー、アーリントン、ナウエン等の電波を関係国が直接受信し、その国の基本経度を正確に測定するとともに、電波伝搬の現象を研究することになった。日本からはこの会議に東京天文台長の平山信が参加、日本でもフランスのボルドー局(LY:19100m)の受信が可能であることを確認し、この測定に参加することとなった。そこで、文部省管轄の測地学委員会が受信施設の設置を求め、三鷹の東京天文台敷地内に設置することとなった。当時の『官報』(第3380号、大正12年11月28日、逓信省告示第1698号)には「報時通信ノ受信ニ使用」とある。予算は当時の金額で96,450円、翌1924年4月に三鷹国際報時所が設置された。

図1 逓信省告示第1698号

3.当時の受信施設

 アンテナは高さ200尺(約60m)の鉄塔を3基設置し、その間に横700尺(約210m)×縦150尺(約45m)のループアンテナを直角に配したものを設置した。工事は1923年12月からはじまり翌年3月に完成した。
 長波用受信機は、高周波3段低周波2段の受信機を民間会社に発注したが、同年9月1日に発生した関東大震災によって大部分が消失してしまった。そこで天文台の時計室内に仮装置を設置し、1923年10月15日からの測定に間に合わせた。その後、沖電気に発注した受信機が納入され、ボルドー局だけでなく、アメリカ・パールハーバー局(NPM:波長11500m)、ドイツ・ナウエン局(POZ:18000m)、ジャワ・マラバー局(PKX:8800m)、仏印・サイゴン局(HZA:20800m)などが定期的に受信できるようになった。

図2 当時の60m高アンテナ鉄塔

4.万国経度測量

 第2回IUGG総会が,1925年マドリードで開かれ、長波だけでなく短波も使用して測定を行う第1回万国経度測量(1926(大正15)年9月15日~11月30日)が行われた。
 この時に使用された短波受信機は、国際報時所で自作したものであった。また、長波についてはテレフンケン社製造の受信機を導入し、アンテナもベリニ・トシアンテナが設置された。
 1933年に再び万国経度測量が行われ、同年9月15日~12月15日まで実施された。この時には各国の報時信号の一つとして、日本の船橋局(JJC:波長7700m)と小山局(JAP:25m)が電波を発出した。

5.JGT局
 国際報時所では、実験用ダイバーシティー短波アンテナのフィーダー調整用として、電波を発射することが必要となり、電波発射の申請を行った。『官報』(第1553号、昭和7年3月7日、逓信省告示第414号)には施設の目的・装置の変更が認可されている。つまり今までの受信施設から送信も含む施設への変更が認められた。呼出符号:JGT、空中線電力30W、使用周波数:7050kc、10581kc、12045kcである。

図3 逓信省告示第414号

 しかし、この周波数で電波発射は行われず、JGT局の電波発射は1933年3月1日~7月31日まで、波長7500m(40kHz)、07:00GMTに報時を送信したとなっている。これが国際報時所の受信記録の中に含まれている。
 
6.戦争末期から戦後へ
 短波受信を強化するために、1941(昭和16)年には日本無線電信(株)製造の46球ダブルスーパー受信機2台が設置され、アンテナはヨーロッパ方面はシングルダブレット、アメリカ方面は4エレ・ダブレットが設置された。
 1941年8月、軍用機が鉄塔に接触し墜落する事故が起こる。この事故との関係はわからないが、1945年に軍部からの命令で、長波受信用アンテナは撤去された。隣接する調布飛行場の航空機の離発着に支障があるとの理由であった。
 1948年4月には、国際報時所は測地学委員会の管轄から東京天文台に移管され、国際報時所は消滅し、天文台の経度研究課が発足し、業務が引き継がれた。
 1957年7月1日~1959年1月31日は地球観測年にあたり、経度研究課は報時局の信号受信を行い、電波伝搬速度の精密測定に貢献した。

図4 三鷹天文台内のアンテナ鉄塔の位置
(①-②-③が1924年建設のループ、④は1937年に増設したベリニ・トシ)

【図の出典】
図1:『官報』第3380号、大正12年11月28日
図2:国立天文台アーカイブ室新聞(2011年12月19日第554号)http://prc.nao.ac.jp/museum/arc_news/arc_news554.pdf
図3:『官報』第1553号、昭和7年3月7日
図4:図2の新聞に掲載されていた地図を参考に筆者が作成

【参考】
・『東京天文台 無線報時史』天文時部経度研究課、1960年2月
・国立天文台アーカイブ新聞 https://prc.nao.ac.jp/prc_arc/arc_news/index.html



(OG)
 

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