標準時報局 OMA(チェコ)

wpe4.jpg (27658 バイト) QSLカード

1.はじめに

 正月休みにGoogleを使って、特に目的もなくネット検索をしていたところ、チェコの時報局OMAがかかりました。すでに停波している時報局ですが、他の局の資料が集まらない今、できそうなところから手をつけることにしました。久々の再開です。

2.『月刊短波』と『新BCLマニュアル』

 かつてのBCLブームの頃に発行された『月刊短波』の1980年12月号に、川口大助氏が『日本で聞こえる世界の時報局』という特別報告をしています。この中に、チェコスロバキアのOMA(2.5MHz)とOLB5(3.17MHz)が取り上げられています。これによれば、両局はチェコスロバキアの天文研究所に属する時報局で、日本ではOLB5が秋から早春の早朝3時〜5時に受信できるとあります。出力は5kW、タイムパルスは1秒1点打の秒信号だけで、00秒に長信号があり、IDはでません。
 一方、1978年5月発行の『新BCLマニュアル』(山田耕嗣著)の『世界の標準電波局』には、「OLB5 チェコスロバキア、ポデブラディー 3170kHz 5kW 毎月第1水曜日の1400〜2000(送信時間)」「OMA チェコスロバキア、リブリーセ 2.5MHz 1kW 毎月第1水曜日と1400台を除く、毎時05〜15、25〜30、35〜40、50〜60分」とあります。

wpe5.jpg (7770 バイト) IREEの建物

3.DSTF

 チェコのDSTF(The Department of Standard Time and Frequency)は、1955年に新設されたIREE(Institute of Radio Engineering and Electronics)の主要部門の一つとして設立されました。OMAはこのDSTFに所属していました。
 DSTFは1957年の初めに、OMA 50kHzで標準時間と標準周波数の送信を始めます。これはおそらく世界初の長波を使った標準周波数の送信です。
 創設時の事情について、Martin Poupa氏のサイトは、次のように書いています。実験放送が1955年にOK1KAAのコールサインで3.5MHzを使って行われ、続いてOMA 2.5MHz、OLB 3.17MHzと続きます。1957年5月17日にOLP 48.6kHzが長波送信を開始し、1958年4月にはOMA50が50kHzで送信を始めました。OMA50は、標準周波数と標準時間をLiblicのT型アンテナから50kWで送信しました。これは世界初の長波送信です。(この部分は原文がチェコ語のため、正確でないかもしれません。)
 1961年にIREEが新しい建物に移った際、クオーツ発振器のより安定した環境のために、14mの深さに、温度コントロールが可能な特別室が作られました。
 1958年にJiri Tolmanはメーザーの研究を開始するよう号令をかけます。彼は1955年から1974年までDSTFの責任者をつとめており、1967年にはテレビの同期信号を使った時間比較の方法を案出したことで表彰されており、まさにDSTFの責任者として適役の人物でした。
 後にDQE(Department of Quantum Electronics)となる量子エレクトロニクス研究所は、原子周波数源の研究をすすめ、1963年にアンモニアメーザーの開発を、同年中にルビーレーザーの開発を行いました。後にTolmanはDQEは水素メーザーも開発できたはずだと述べていますが、1968年に起こったソ連のチェコ侵入により日の目を見ることはありませんでした。このチェコ侵入で、DQEは解散させられ、主要な物理学者たちは政治的な理由で追放されました。

4.OMAの停波

 1969年、DSTFはセシウム原子時計HP5061Aを導入します。これは「鉄のカーテン」の向こうで、HPの原子時計が使われた最初の事例でしょう。  1970年代のDSTFの仕事は、主に時間と周波数の送信システムの管理でした。1976年にはFSKを用いて時間コードをOMAの信号に埋め込むことに成功します。1977年にはプラハの市街のあちこちに街頭電波時計がおかれ、OMA信号を使った実験が行われます。このOMAのシステムは、エジプトのカイロやロシアのKola半島など2000kmも離れた地点にある時計にも、正確な時刻を届けています。
 1989年のチェコスロバキアの政変の結果、西側の技術に自由にアクセスできるようになりました。たとえば、1991年以降はcommon-view GPSで時間比較が開始されるなど、DSTFは全般的に近代化が進みました。
 そして1996年1月1日。資金不足のため、OMA50は停波します。

wpe6.jpg (54873 バイト) DSTFの標準信号のブロックダイヤグラム

5.OMAの送信設備

 ここまで原稿を書いたところで、「参考」にある『Vse o Casu ー OMA50』のページを作られたMartin Poupa氏に出しておいたメールに返事があった。彼は元DQEにいた人物で、現在は西ボヘミア大学の応用エレクトロニクス講座で教授をしている。授業は、論理回路やマイクロプロセッサを教えているようだ。趣味もエレクトロニクスとアマチュア無線で「OK1XMP」というコールサインを持っているという。  Poupa氏は、OMAの送信設備について返信をくれたので、これについて最後に記しておきたい。
 「OMAの送信機は1995年の春、Czech Radiocommunications の経済的な問題のために停波しました。OMA50の送信開始は1958年4月からですから、1970年からのDCF77よりはるかに古いものです。この送信機の実効輻射電力は、正規のアンテナで50kW、バックアップのアンテナで5kWでした。送信信号の形式はUTC(TP)という搬送波にBCD位相変調をほどこしたもので、AM変調のDCF77よりもたくさんの時間パラメータを与えることができます。しかし、受信機はより複雑なものとなります。」

【参考】

(1)『日本で聞こえる世界の時報局』川口大助、月刊短波1980年12月号、日本BCL連盟
(2)『世界の標準電波局』新BCLマニュアル(山田耕嗣著)、1978年5月発行、電波新聞社
(3)『History of DSTF』(http://www.ure.cas.cz/dpt280/history.html
(4)『Vse o Casu ー OMA50』(http://home.zcu.cz/~poupa/oma50.html
(5)『QSL-Cards from TIMESIGNALand STANDARD-FREQUENCY radio stations 』(http://people.freenet.de/troesne/TS.html)

このページに使用した写真は、QSLカードは(5)から、IREE、DSTF関係は(3)からの引用です。


PBUTT18.GIF (2642 バイト)