時間のはなし |
<BACK> update:2022/11/20 |
1.標準時 ここでは、1日を24時間にわけた頃以降のはなしをすることとしたい。当時は太陽の運行が基準であったから、時刻はそれぞれの地域で太陽が南中する時を正午とした。太陽の南中時刻は、地球の経度によって異なるから、地域ごとに異なる正午が存在した。地域の移動に使われたのは徒歩であり、せいぜい馬であったから、地域ごとに時刻が異なることは何の問題もなかった。産業革命以降、技術の発達によって、地域ごとに時刻が異なると都合の悪いことが起こり始める。例えば有線電信の出現である。電気信号は瞬時で伝わるから、アメリカのニューヨークで午前9時に発信した電信は、シカゴでは午前8時04分に受信したことになる。発信した時間よりもはやく受信してしまうという奇妙なことが起こってしまう。蒸気機関車や飛行機などの交通でも問題が生じた。このように移動や伝達の手段の高速化がいままで問題にならなかった時間のずれをあぶりだした。 こうした不都合を解消するために、行政上の管理が及ぶ範囲では同じ時刻を基準とするようになった。これを標準時と呼ぶ。ただし、東西に長い国では、一つの標準時にすると生活感覚とかなりズレた時間を使わなければならなくなるため、いくつかの標準時を使用している国もある。アメリカでは9つの標準時が、ロシアでは11の標準時が使われている。 2.世界標準時 1884年10月、国際子午線会議(International Meridian Conference)がワシントンで開かれた。ここで、本初子午線はグリニッジ天文台の子午儀の中心を通ることが決められた。本初とは基準となるという意味である。グリニッジ天文台を通る経度を0°とし、東に向かっては東経、西に向かっては西経とした。この結果、グリニッジ天文台の時刻が世界標準時(GMT:Greenwich Mean Time)となった。ただし、このGMTはグリニッジ天文台の南中時を0時とし、そこから24時間制で数えるというものだった。つまり昼間に日付が替わるのである。これは人々の生活と合わない数え方であったので、人々はGCT(Greenwich Civil Time)を使用した。多くの人はこれをGMTと理解していたようだ。 3.日本の標準時 日本では、1884年の会議に東京大学理学部長の菊池大麓が参加していた。この会議を受けて、日本も標準時を採用する。1886(明治19)年7月12日、日本の標準時は東経135°の子午線の時刻と決められ、1888(明治21)年1月1日より実施された。標準時については、地理局観象台が全国各地の電信局に正午の時刻を電信で知らせたようである。 この日本の標準時は、日本の領土拡大に伴い追加されていく。日清戦争で勝利した日本は下関条約に基づき台湾を割譲する。台湾には総督府が置かれ、1895(明治28)年、標準時に「西部標準時」が定められる。台湾、澎湖列島、八重山、宮古列島は、東経120°の子午線の時刻を標準時とした。この時従来の日本の標準時は「中央標準時」となった。1910(明治43)年、朝鮮併合が行われ、朝鮮の標準時は中央標準時とされた。さらに、第1次世界大戦後に結ばれたベルサイユ条約で、日本はドイツの植民地だった南洋諸島を委任統治することになり、3つの標準時が追加された。「南洋群島西部標準時」(東経135°:パラオ及ヤップ支庁管轄区域の標準時)、「南洋群島中部標準時」(東経150°:サイパン及トラック支庁管轄区域の標準時)、「南洋群島東部標準時」(東経165°:ポナペ及ヤルート支庁管轄区域の標準時)である。中央標準時以外のこれらの標準時は、1945年の日本の敗戦によりすべてなくなった。 官報第3752号(明治28.12.28) 官報第8527号(明治44.11.21) 官報第2125(昭和9.2.3) 4.太陽時とのズレ 人々は太陽の運行によって時間を決めてきたが、実は太陽の運行には季節変動があることがわかってくる。ある地域で太陽の南中時刻を毎日測ったとすると、一日の長さは常に24時間ではない。少ないとき(9月)と多いとき(12月)とでは1分近くも異なるのである。これは地球の公転軌道が楕円であることや、地軸が傾いていることによるものだ。そこで理想的な運行をする太陽を考え、これによる時間を「平均太陽時」とした。先に述べたGMTは平均太陽時だったのである。 1928年、国際天文学連合(IAU:International Astronomical Union)が「世界時」(UT:Universal Time)を決定する。UTはグリニッジ子午線における平均太陽時で、午前0時に1日が始まる。実際にはUTは恒星が子午線を通過した時間から直接導かれるUT0と、このUT0に地軸のブレの補正を行った全世界共通のUT1、UT1を地球の自転速度の季節変動を補正したUT2がある。 5.協定世界時(UTC) 科学の進歩は、天体の運行よりも正確に時間が推移する原子時(Temps Atomique)を生み出す。原子レベルの現象で秒を決めたものである。1967年の度量衡総会(CGPM:Conférence Cénérale des Poids et Mesures)は、1秒の定義を次のように定めた。「セシウム133原子の基底状態における二つの超微細レベルの間の遷移に対応する放射が9,192,631,770回振動する期間」。こうして各国で原子時計が作られ、現在は数百の原子時計の加重平均をもって国際原子時(TAI:Temps Atomique International)としている。 だが、平均太陽時が徐々に遅くなるために、国際原子時との差が拡大していく。そこで、平均太陽時に基づきUT2を補正した協定世界時(UTC)が1971年に定められた。正確な原子時計の刻む秒を累積していくと、平均太陽時との差は拡大する一方になる。だから、協定世界時を決めたときに、UT1との差が0.7秒以内に収まるように、1月1日または7月1日に「うるう秒」なるものを挿入し、調整することにしたのである。このようにして、原子時と天体の動きとの整合性をはかったわけである。 閑話休題 協定世界時を、英語ではCoordinated Universal Time(CUT)といい、フランス語では Temps Universel Coordonné(TUC)という。どちらも略語はUTCにはならない。これはUTCを考案した国際電気通信連合(ITU)が、どの国でも同じ略号になるようにと、UTCという略語にしたのだそうだ。こうすれば特定の言語を優先しているようには見えないわけだ。国際会議というのはいろいろと気をつかうものである。 出典:https://www.nist.gov/pml/time-and-frequency-division/nist-time-frequently-asked-questions-faq#cut (OG) |
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