JR山陰線 餘部橋梁 |
餘部橋梁は、1909年(明治42年)12月に着工し、1912年(明治45年)3月1日に開通した。長さ310.59m、高さ41.45m、総工費331,535円。11基の橋脚、23連の鉄桁を持つ国内最大のトレッスル橋である。
設計は、当時の鉄道院技師古川晴一による。橋脚の鋼材は、1910年(明治43年)8月、アメリカンブリッジ社のペンコイド工場より門司を経由して餘部に運ばれた。完成までの費用は33万円超、延べ25万人超の人員を投入した大工事であった。
鉄橋下の慰霊碑は1986年(昭和61年)12月28日に起きた列車転落事故のもので、香住駅より浜坂駅へ回送中のお座敷列車「みやび」が日本海からの突風にあおられて鉄橋中央部付近より機関車と客車の台車の一部を残して7両が転落した。転落した客車は橋の真下にあった水産加工工場を直撃し、従業員5名と車掌1名の計6名が死亡、客車内の日本食堂の従業員1名とカニ加工場の従業員5名の計6名が重傷を負った。
列車転落事故により運行基準が強化された結果、冬季の運休や遅れが続出し、定時運行が困難となった。これを機に、現鉄橋の南側にPC橋(コンクリート橋)を新たに設置する計画が浮上し、2007年春から架け替え工事が行われる予定である。