京都の近代建築-中京区
 update: 2022.11.9
 


■平楽寺書店(NO.1)

 この建物は、1927(昭和2)年に竣工した鉄筋コンクリート造3階建の建物で、設計・施工は唐木屋工務店である。平楽寺書店は仏教関係書を扱う老舗出版社である。



●所在地:京都市中京区東洞院三条上ル曇華院前町


■中京郵便局旧庁舎外観(NO.2)

(2004.2撮影) (2007.2撮影)

 中京郵便局旧庁舎は、1902年に竣工した。1976年からの改築工事の際に一部が保存されて現在に至る。
 設置されている説明板には以下のように書かれている。
中京郵便局旧庁舎外観
 中京郵便局の旧庁舎は、京都郵便電信局として、逓信省営繕課の吉井茂則・三橋四郎の設計、同小泉鉄也の監督のもと安藤組の施工により、明治35年(1902)8月に竣工した。ネオルネッサンス様式のこの旧庁舎は、当時の代表的郵便局で、日本の近代建築史においても重要な位置を占める作品であった。
 昭和51年3月から同53年4月に中京郵便局の改築が行われたが、このとき旧庁舎の南面及び東西側面の一部の外壁と屋根が保存された。
 中京郵便局は、近代京都における経済の中心地であった三条通に位置し、旧庁舎の外観は当時の雰囲気をよく伝えている。またその意匠は優れたもので、三条通の景観保全にも寄与しており、昭和61年6月2日、京都市登録有形文化財に登録された。
   京都市 

●所在地:京都市中京区三条通東洞院東入菱屋町


■旧日本銀行京都支店(京都文化博物館別館)(NO.3)

 旧日本銀行京都支店別館は、1906(明治39)年に竣工した煉瓦造2階建の建物である。、設計は辰野金吾・長野宇平治で、「辰野式」の初期の建築である。
 1965(昭和40)年に日本銀行が移転してから平安博物館として使用された。その後、1988(昭和63)年に文化博物館となった。

(2004.2撮影) (2007.2撮影)

館内の様子

●所在地:京都市中京区三条通高倉西入菱屋町
●連絡:京都文化博物館 月休館、10:00-19:30、http://www.bunpaku.or.jp/、075-222-0888


■旧日本生命京都支店(日本生命京都三条ビル旧棟)(NO.4)

 この建物は、1914(大正3)年、辰野金吾・片岡安の設計により建設された。建物は煉瓦造2階建。改築で東側1スパンが保存された。
 説明板には以下のような記述がある。
京都市登録有形文化財
日本生命京都三条ビル外観(旧日本生命京都支店)
 旧日本生命京都支店は、辰野金吾・片岡安の設計、山本鑑之進の施工により、大正3年7月に竣工した。
 この建物の外観は、辰野が「辰野式」と呼ばれる独特の様式で赤煉瓦造の建物を多く手掛けており、一方、片岡安は石貼りを多用した直線的な細部意匠を用いていたことから、そうした両者の特色をよく示している。また構造面においては、耐震性への配慮から、西欧の純粋な煉瓦造でなく、中に鉄骨を入れている点に特徴がみられる。
 現在の建物は、昭和58年に改築されたものの、塔屋を含む東側部分が鉄筋コンクリート造で補強した上でファサード保存され、建築当時の外観を残すとともに近代洋風建築が立ち並ぶ三条通において、歴史的景観のポイントともなっている。
昭和59年6月1日 登録
京都市
 

 (2007.2撮影)

●所在地:京都市中京区三条通柳馬場西入枡屋町


■旧不動貯金銀行京都支店(SACRA)(NO.5)

 この建物は、旧不動貯金銀行京都支店の建物で、1916(大正5)年頃の竣工である。建物は日本建築株式会社の設計で、木造煉瓦造3階建である。不動貯金銀行とは、1900年に牧野元次郎により設立された銀行、のち9行の合併により1945年に日本貯蓄銀行となった。戦後になり協和銀行と改称した。

 (2007.2撮影)

●所在地:京都市中京区三条通富小路西入中之町


■家邊徳時計店(NO.6)

 この建物は、1871(明治4)年創業の家邊徳時計店の住居兼店舗で、1890(明治23)年に竣工した。店舗は煉瓦造2階建、住居は木造2階建である。当初は塔屋と時計塔があったが現存していない。国登録有形文化財。

 (2007.2撮影)

●所在地:京都市中京区三条通富小路東入中之町


■旧京都大毎会館(1928ビル)(NO.7)

 この建物は、京都大毎会館として1928(昭和3)年に建設され、1998年まで毎日新聞の京都支局の社屋として使用された。設計は武田五一、鉄筋コンクリート造3階建の建物で、現在はアートコンプレックス1928として様々なアートイベントに使用されている。設置されている説明板には次のように記されている。
毎日新聞社京都支局(旧京都大毎会館)
 毎日新聞社京都支局は、昭和3年(1928)、武田五一の設計、大林組の施工により建築された。
 意匠的には、正面外観の水平ルーバーによる水平線の強調にF.L.ライトの影響が感じられる。また、毎日新聞社章を応用したバルコニーの形状や、玄関左右のランプカバーの意匠は、クランク型に屈曲する直線が用いられており、アール・デコの影響が認められる。ここには、国際建築様式成立直前のヨーロッパにおける二大流行がいち早く取り入れられており、意匠史の上から注目される建物であり、昭和58年6月1日、京都市登録有形文化財に登録された。
京都市

 

 (2007.2撮影)

●所在地:京都市中京区三条通御幸町海老屋町


■京都市役所本館(NO.8)

 京都市役所本館は、中野進一・武田五一の設計で、1927(昭和2)年に第一期(東側半分)が竣工し、1931(昭和6)年に第2期(西側半分)が竣工し、完成した。鉄筋コンクリート造4階建、塔屋付。現在、現存する県庁所在地の市庁舎で最も古い。

 

 (2007.2撮影)

●所在地:京都市中京区寺町通御池上ル上本能寺前町


■旧島津製作所河原町別館(フォーチュンガーデン京都)(NO.9)

 この建物は、1927(昭和2)年に竣工した島津製作所の旧本社社屋である。設計は荒川義夫・武田五一、鉄筋コンクリート造4階建の建物である。島津製作所は、1875(明治8)年に島津源蔵が開設した教育用理化学機器販売の会社で、創業の地には島津創業記念館が建つ。この建物は、現在フォーチュンガーデン京都として、レストラン・ブライダルに活用されている。

 (2007.2撮影)

●所在地:京都市中京区河原町通二条下ル一之船入町


■島津創業記念資料館南棟・北棟(NO.10)

 島津創業記念資料館は、島津製作所の創業者である島津源蔵の住居兼研究所として建てられた建物を資料館として活用したものである。南棟は1888(明治21)年に、北棟は1894(明治27)年に竣工した。いずれも木造2階建ての建物である。



●所在地:京都市中京区西木屋町通二条上ル西生州町


■旧西村貿易店(文椿ビルヂング)(NO.11)

 この建物は、京友禅の千總の西村総左衛門直篤が1920(大正9)年に西村貿易店の社屋として建設したといわれる。木造2階建の建物である。

 (2007.2撮影)

●所在地:京都市中京区三条通烏丸西入御倉町


■旧京都中央電話局(新風館)(NO.12)

 この建物の竣工は、第1期が1924(大正14)年、第2期が昭和年である。設計は吉田鉄郎、鉄筋コンクリート造3階建。
 説明板には次のように記されている。
京都電電ビル西館(旧京都中央電話局)
 京都電電ビル西館は、当初逓信省の京都中央電話局として、逓信省技師の吉田鉄郎の設計、清水組の施工により建築された。後期は大正14年(1925)2月~同15年9月の第1期工事と、昭和4年(1929)5月~同6年1月までの第2期工事に分かれる。
 意匠的には、西面の連続したアーチに特色がみられ、日本における近代建築のパイオニアである吉田鉄郎が、国際建築様式を自己のものとする直前の作品として基調であり、昭和58年6月1日、京都市登録有形文化財に登録された。
京都市 

 

近畿電気通信局管内自動式電話交換創始ゆかりの地の碑

●所在地:京都市中京区姉小路通東洞院西入車屋町
●備考:この建物については<当HP産業遺産>にも記載あり


■旧第一勧業銀行京都支店(みずほ銀行京都中央支店)(NO.13)

 この建物は、元々は1906(明治39)年に竣工したもので、辰野金吾・葛西萬司の設計による。1999年に解体され、2003年に以前の建物を復元する形で建築された。

(2007.2撮影)

●所在地:京都市中京区烏丸通三条下ル饅頭屋町


■旧山口銀行京都支店(フローイングカラスマ)(NO.14)

 この建物は、1916(大正5)年に竣工した鉄筋コンクリート造2階建の建物である。設計は辰野片岡建築事務所である。山口銀行は大阪の山口吉郎兵衛が開設したもので、のち鴻池銀行、三十四銀行と合併し、三和銀行(現三菱東京UFJ銀行)となった。建物は2004年まで北國銀行京都支店として使われ、現在はフローイングカラスマという名称で、カフェ等に使用されている。

ちょうど工事開始直前であった。

  (2007.1撮影)

●所在地:京都市中京区烏丸通蛸薬師下ル手洗水町


■旧京都商工銀行(ウィングス京都)(NO.15)

 この建物は、1886(明治19)年に設立された京都商工銀行の社屋として1908(明治41)年に竣工した。京都商工銀行は1916(大正5)年に第一銀行と合併した。
その後、中京区役所として利用されたが、現在はウィングス京都(京都市男女共同参画センター)として活用されている。改築の際に外壁の一部のみが残され、当時の面影を残している。

 ( 2007.6撮影)

●所在地:京都市中京区東洞院通六角下ル御射山町


■宮崎(NO.16)

 この建物は、1936(昭和11)年に竣工した木造2階建の建物である。設計は宇都宮誠太郎、武田五一が指導をしている。宮崎は1856(安政3)年に創業した家具店で、1936年に現在の建物に建て替えられた。



●所在地:京都市中京区夷川通堺町西入亀屋町


■夢創工房田中屋(NO.17)

 この建物は、大正期から昭和初期に作られたとされ、煉瓦造平屋建である。



●京都市中京区高倉通蛸薬師下ル貝屋町


■旧ムラナカ理容院(麺処むらじ室町店)(NO.18)

 この建物は、1928(昭和3)年に竣工した木造3階建の建物で、1階を店舗とし、2階以上を住居としている。現在はラーメン屋となっている。


●所在地:京都市中京区室町通蛸薬師下ル山伏山町


■旧明倫小学校(京都芸術センター)(NO.19)

 この建物は、1931(昭和6)年に竣工したもので、本館は鉄筋コンクリート造2階建、校舎は鉄筋コンクリート造3階建である。明倫小学校は、1869(明治2)年に創設された下京三番組小学校を元としている。この建物は1928(昭和3)年の昭和天皇御大典事業として建設されたものである。1993年に閉校し、京都芸術センターとして使用されている。

 

●所在地:京都市中京区室町通蛸薬師下ル山伏町


■旧京染会館(スーパーフレスコ(NO.20)

 この建物は、1937(昭和12)年に竣工した鉄筋コンクリート造4階建の建物である。この建物を建設した京染会は、友禅の関係者の仲間組合をみなもととし、1892(明治25)年に京都染業組合となり、のち1944(昭和19)年に京染会となった。現在はスーパーフレスコが営業をしている。



●所在地:京都市中京区四条西洞院北西


■旧第一銀行丸太町支店(京都中央信用金庫丸太町支店)(NO.21)

 この建物は。1927(昭和2)年に第一銀行丸太町支店として建設され、戦後京都中央信用金庫の所有となる。
 設計は、清水組の西村好時で、鉄筋コンクリート造2階建の建物である。

 (2007.1撮影)

●所在地:京都市中京区丸太町通河原町西入東椹木町


■先斗町歌舞練場(NO.22)

 歌舞練場とは、京都の花街にある劇場で、芸妓・舞妓の歌や舞踊、楽器等の練習場でもある。この建物は、1927(昭和2)年に竣工した鉄筋コンクリート造4階建の建物で、設計は大林組の木村得三郎である。1933年に舞台や観覧席が木造から鉄筋コンクリートに改修された。

 鴨川より(2007.6撮影)

●所在地:京都市中京区先斗町通三条下ル橋下町


■京都ハリストス正教会生神女福音聖堂(NO.23)

 (2004.2撮影)

 京都ハリストス正教会生神女福音聖堂は、1901(明治34)年に竣工、設計は松室重光である。木造平屋建。
 設置されている説明板に以下のような記載がある。
京都ハリストス正教会生神女福音聖堂
 京都ハリストス正教会生神女福音聖堂は、ギリシア正教会の京都聖堂として、当時の京都府技師松室重光の設計・監督のもとに建てられた。建物は明治34年(1901)12月に完成していたが、ロシア正教会から寄附された聖障(イコノスタス)、教鐘、大燈明などの到着が明治36年3月であったため、聖堂成聖式は同年5月10日に行われた。
 建物は、木造平屋建のロシア・ビザンチン様式教会堂で、証明より玄関、啓蒙所、聖所、至聖所が1列に並び、最も広い聖所と至聖所とを仕切っている聖障は、柱と梁で区画されて油彩聖人像のパネル30枚が嵌めこまれており、みごたえがある。
 この聖堂は、日本ハリストス正教会の聖堂のなかで、本格的なものとしては現存最古の遺構であり、以後に建築された木造聖堂の範例とされていたと考えられる。また、松室重光の日本における数少ない現存作品の一つとして貴重であり、意匠的にも、装飾が少なく簡素であるがその均斉のとれた外観は美しく、昭和61年6月2日、京都市指定有形文化財に指定された。
   京都市
 

●所在地:京都市中京区柳馬場通二条上ル六丁目

■日本基督教団京都御幸町教会会堂(NO.24)

 御幸町教会会堂は、1913(大正2)年に竣工した煉瓦造平屋建の建物で、設計はW.M.ヴォーリズによる。
 設置されている説明板には以下のような記載がある。

 

煙突

●所在地:京都市中京区御幸町通二条下ル山本町


■旧京都綿ネル会社(日本写真印刷(株)本社工場)(NO.25)

 日本写真印刷(株)には、京都綿ネル会社の旧本館、旧講堂、旧機関室、工場棟が存在し、いずれも煉瓦造の建物で1906(明治39)年の竣工である。
 京都綿ネルは1895(明治28)年に発足、1898(明治31)年にこの地に工場を建設した。その後、1901(明治34)年に隣接していた京都紡績株式会社を合併した。1908(明治41)年に日本製布株式会社に名称を変え、1915(大正4)年に辻紡績所に譲渡された。現在の日本写真印刷は1947(昭和22)年から使用している。

旧本館

旧講堂

右側の建物が旧機関室

ノコギリ屋根の工場棟

●所在地:京都市中京区壬生花井町
●備考:この建物については<当HP産業遺産>にも記載あり


■日本聖公会京都聖三一教会(NO.26)

 京都聖三一教会は、1893(明治26)年開設され、1930(昭和5)年に現在の地に移転した。建物の設計は、園部秀治・J.V.W.バーガミニー、竣工は1930(昭和5)年、木造2階建の建物である。

(2019.12撮影)

●所在地:京都市中京区聚楽廻中町


■旧富永商店(膳所漢ぽっちり)(NO.27) 

富永商店は、京都の呉服商で、この建物は鉄筋コンクリート造2階建の店舗棟と奥につらなる木造2階建の居住棟から構成される。竣工は1935(昭和10)年である。現在は、「膳所漢」という北京料理店と蔵を改装したバー「ぽっちり」になっている。ぽっちりとは舞妓さんの帯留めのことを指す。

 (2019.12撮影)

●所在地:京都市中京区錦小路通室町西入天神山町


■革島医院(NO.28)

 この建物は、1936(昭和11)年に竣工した木造2階建(一部3階建)の建物である。

 (2020.1撮影)

●所在地:京都市中京区麩屋町通六角下ル坂井町


■旧生祥小学校(京都市教育委員会生涯学習部)(NO.29)

 この建物は、昭和15(1940)年~16(1941)年頃に建設された、鉄筋コンクリート造3階建の建物である。少子化による近隣の小学校との統合により廃校となり、現在は「京都市教育委員会生涯学習部」と「みやこ子ども土曜塾」の看板がかかっている。

 (2020.1撮影)

●所在地:京都市中京区富小路通六角下ル骨屋町


■旧龍池小学校(京都国際マンガミュージアム)(NO.30)

 旧龍池小学校は、1869(明治2)年に旧上京25番小学校として開校した。現在残る校舎は、1928(昭和3)年に第1期工事として北側講堂、屋内体操場を含む校舎が、翌年には第2期工事として本館と教室棟が、1937(昭和12)年には第3期工事として北側校舎が完成した。生徒数の減少により廃校となり、現在は京都国際マンガミュージアムが使用している。

 

 (2020.1撮影)

●所在地:京都市中京区両替町通押小路下ル金吹町
●京都国際マンガミュージアム:https://www.kyotomm.jp/


■金翠堂(NO.31)

 金翠堂は、1890(明治23)年創業の日本画画材店。建物は大正から昭和初期のもので、木造2階建である。

(2020.1撮影)

●所在地:京都市中京区富小路六角西入大黒町


■吉田染料店(NO.32)

 大正から昭和初期に建造された木造2階建の建物である。現在は使用されていない。
(2022.9撮影)

●所在地:京都市中京区東洞院通二条西角仁王門町


■旧中嶌商店(たこ焼き大文字)(NO.33)

 昭和初期の木造2階建ての建物。現在は使われていない。

(2022.9撮影)

●所在地:京都市中京区河原町通竹屋町西北角大文字町242


■旧森田牛乳店(SOUTOUSYA+KYOTO)(NO.34)

 1925(大正14)年頃に建造された鉄筋コンクリート造3階建の建物。

(2022.9撮影)

●所在地:京都市中京区河原町通夷川上ル指物町336


■中村宗商店倉庫(NO.35)

 西隣にある中村宗商店の倉庫。現在は使用されていない。建築年代は不明。商店の建築年代は大正から昭和初期。

(2022.9撮影)

●所在地:京都市中京区車屋町通二条東入ル仁王門町21


■二條薬業会館(NO.36)

 江戸期から二条界隈には、薬問屋が多く、現在も漢方の店が数軒残る。そうした事情からだろう。二条烏丸を西に入った所に薬業会館がある。竣工は1936(昭和11)年。木造2階建の建物で、建物のあちこちに今では見られないような意匠が残る。

(2022.10撮影)

●所在地:京都市中京区二条両替町通西入東玉屋町487


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