京都の近代建築-東山区
 2020.1.6

■旧村井兄弟商会たばこ工場((社)関西厚生協会)(NO.1)
 旧村井兄弟商会たばこ工場は、1899(明治32)年に竣工、煉瓦造2階建の建物である。
 村井吉兵衛・弥三郎は、1894年に村井兄弟商会を設立、たばこ製造の機械化をはかった。1904年にたばこの専売化により工場は専売局に移り、その後新工場建設に伴い閉鎖され、のちに関西厚生協会に払い下げられた。
石造りの説明板には以下のように記されている。

明治23年村井吉兵衛わが国始めて両切紙巻タバコを製造 同32年この地に米国タバコ会社と合同して村井兄弟商会を設立し その名声は世界のタバコ商として知られる
明治37年煙草専売法の実施により国営となり 商会の建物は専売局専売公社の京都工場として使用され村井の技術が大いに役立つ
(大渓元千代著「たばこ王村井吉兵衛」に拠る)
その後建物は倉庫等に使用されたが廃屋同然の状態で放置された
昭和22年富田淺雄社団法人関西厚生協会を設立し この地と建物の払い下げを受けてその維持保存につとめ今日に至る
昭和55年3月吉日
社団法人関西厚生協会

 

 

 

 (2006.9撮影)

●所在地:京都市東山区馬町通東大路西入
●備考:この建物に関しては<当HP産業遺産>にも記載あり


■旧帝国京都博物館本館等(京都国立博物館)(NO.2)
 旧帝国京都博物館本館は、1895(明治28)年に竣工、設計は片山東熊で、煉瓦造平屋建のゴシック様式の建物である。旧正門も片山の設計による。
 旧正門横にある説明板には以下のように記されている。
旧帝国京都博物館陳列館等について
 赤煉瓦づくりの正門と、その左右の煉瓦塀は、門からみて正面の大きな煉瓦造の陳列館とともに片山東熊博士の設計により明治28年(1895年)に完成したもので、いわゆる初期洋風建築の代表的な遺構である。
 昭和44年(1969年)3月、これらの建造物はあわせて「旧帝国京都博物館」として「重要文化財」に指定されている。
 また、正門北側に連なる巨大な石垣は、天正14年(1586年)に建てられた方広寺の遺構で、昭和44年(1969年)4月「方広寺石塁」として「史跡」に指定されているものである。 

 (2011.2撮影)

 (2006.9撮影)

京都国立博物館技術参考資料館(1930(昭和5)年竣工)

●所在地:京都市東山区東大路通七条上ル茶屋町
●連絡:京都国立博物館 月曜休館、9:30-18:00、http://www.kyohaku.go.jp、075-525-2473
●備考:この建物に関しては<当HP産業遺産>にも記載あり

■レストラン菊水(NO.3)
 この地には、南座に対面して劇場北座があった。ここに1916(大正5)年に奥村小次郎が西洋料理店を開店、これを1926(大正15)年に建て替えたものが現在の建物である。上田工務店の設計、鉄筋コンクリート造5階(地下1階)建。

(2007.2撮影)

●所在地:京都市東山区川端通四条上ル川端町
●備考:レストラン菊水、無休、10:00-22:00、http://www.restaurant-kikusui.com/


■香鳥屋(NO.4)
 この建物は、1926(昭和元)年に竣工した鉄筋コンクリート4階建の建物である。1,2階を店舗、3階を住居としている。

(2007.6撮影)

●所在地:京都市東山区四条通大和大路東入祇園町南側


■旧村井銀行祇園支店(エンマ)(NO.5)
 この建物は、1924(大正13)年に竣工したもので、鉄筋コンクリート造2階建の建物である。設計は吉武長一である。銀行閉鎖後はいくつかの店舗を経て、現在はレストランとなっている。

(2007.6撮影)

●所在地:京都市東山区四条通大和大路東入祇園町南側


■旧有済小学校太鼓望楼(NO.6)
 有済小学校は、1869(明治2)年に下京第24番組北学校として開設した。1897(明治30)年に京都市有済尋常小学校と改称した。1876(明治9)年の校舎増築の際に屋根に望火楼を設けた講堂が新築された。望楼は1952年に鉄筋コンクリート3階建の校舎に移築された。 説明板の記述を以下に示す。
屋上の太鼓望楼
 明治9年8月、校門近くの木造校舎の上に望楼が造られ、中で太鼓を叩いて自国を知らせたり時には火事を知らせたりした。
 各小学校にあった望楼は明治末までにその姿を消し、現在では本校にだけ残る日本唯一の文化財である。
 昭和12年に今の鉄筋校舎が出来上がり、後に屋上に移築された。
 平成14年からはライトアップされ、夜間もその勇姿を見せている。
平成14年5月
京都市立有済小学校
 


(2007.6撮影)

●所在地:京都市東山区大和大路通三条下ル東入若松町


■手越医院(NO.7)
 この建物は、大正から昭和初期に竣工したものである。

(2007.6撮影)

●所在地:京都市東山区小松町


■旧祇園電報電話局(NTT京都支店祇園別館)(NO.8)
 この建物は祇園電報電話局として1927(昭和2)年に竣工した。設計は上浪朗、鉄筋コンクリート造2階建ての建物である。

 (2007.6撮影)

●所在地:京都市東山区小松町


■旧村井銀行五条支店(京都中央信用金庫東五条支店)(NO.9)
 この建物は、1924(大正13)年頃に竣工した鉄筋コンクリート造2階建の建物である。設計は吉武長一。



●所在地:京都市東山区五条通川端東入東橋詰町


■祇園閣(NO.10)
 祇園閣は、大倉喜八郎が京都市内を眺望するための施設として京都別邸内に建てたものである。設計は伊東忠太、竣工は1927(昭和2)年である。建物の基礎・下層部は鉄筋コンクリート造、中層以上を鉄筋鉄骨コンクリート造とし、祇園祭の鉾をかたどった外観が特徴である。1973(昭和48)年に寺院の施設となる。

(2020.1撮影)

●所在地:京都市東山区祇園町南側(丸山音楽堂西側)


■旧村井吉兵衛京都別邸(長楽館)(NO.11)
 長楽館は、“煙草王”村井吉兵衛により1909(明治42)年に建てられた迎賓館である。設計はJ.M.ガーディナー、煉瓦造3階建の建物である。現在は喫茶・ホテルとして使用されている。入口に説明板がある。
長楽館
旧村井別邸
 長楽館は、「たばこ王」と称された明治時代の実業家村井吉兵衛が迎賓館として建てた建物である。「長楽館」の名称は伊藤博文が宿泊した折に命名し、扁額にも記した。皇族や元勲、英国皇太子などの国賓が多数滞在し、「京都の迎賓館」とも呼べる建物であった。
 工事は、アメリカ人技師J.M.ガーディナーの設計により、明治42年(1909)6月に竣工した。
 建物は、1・2階ともにそれぞれ特徴のある部屋がならぶ。中でも1階客間は暖炉まわりや壁、天井に植物文様のレリーフを飾るなど、ロココ様式を基調とし、最も華麗で見ごたえのある部屋となっている。一方3階は書院造風の和室で、その豪華なつくりと斬新な座敷飾りはみごとである。建築当初の家具が残っている点も注目される。ロココ様式をはじめそれぞれ部屋に合った様式の家具が置かれ、英国王室御用達でもあったMAPLE社製など、大半が高級な輸入品で、意匠的にも優れる。
 長楽館は、内部の凝った意匠に見るべきところがあり、規模も大きく、明治後期における和洋折衷の代表例として価値が高いことから、家具30点を含め昭和61年6月2日、京都市指定有形文化財に指定された。
京都市
 

 (2020.1撮影)

●所在地:京都市東山区八坂鳥居前東入円山町(円山公園内)
●長楽館:https://www.chourakukan.co.jp/chourakukan


■弥栄会館(NO.12)
 弥栄会館は、祇園甲部歌舞練場に隣接する施設で、ホール・事務所用の建築物である。設計は木村得三郎、竣工は1936(昭和11)年、鉄筋鉄骨造5階建の建物である。2019年秋、帝国ホテルがホテルとして使用する予定がある。

 (2020.1撮影)

●所在地:京都市東山区四条通花見小路下ル祇園町南側


■南座(NO.13)
 南座は、元和年間(1615~1623)に始まり今日まで続く芝居施設で、現在の建物は1929(昭和4)年に建てられたものである。設計は足立糺、鉄筋コンクリート造4階建、地下1階建の建物である。1991(平成3)年に舞台、客席等の大幅改修が行われた。

(2020.1撮影)

●所在地:京都市東山区四条通川端東入中之町


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