十六橋水門と天橋閣    2023.10.06

 安積地方(現郡山市)は、降水量が少なく、水源に乏しい地であったが、1873(明治6)年に二本松藩士が入植、開墾し、桑野村が誕生する。これにより、廃藩置県で困窮した士族の救済のために、この地が選ばれた。このために猪苗代湖の水を郡山盆地まで導水する事業が計画され、1878(明治11)年にオランダ人技師ファン・ドールンを現地に派遣し、調査を行った。1879(明治12)年に工事が着工され、十六橋水門をはじめとする隧道、架樋など130kmにわたる工事が行われた。
 1898(明治31)年には、水路の落差を利用し水力発電が行われるようになり、特別高圧送電にも成功した。こうして郡山は水と電気によって紡績工場などが次々に進出し、工業、商業が盛んになった。(写真撮影は2023.10.3)

■十六橋水門

 十六橋水門は1880(明治13)年に完成した水門で、安積疏水の流量確保や猪苗代湖の水位調節を行うために設けられた。設置当時は木製角落としの水門だったが、1895(明治28)年に水門巻き上げ式となった。1913(大正2)年には水門と橋が分離され、翌年水門は電動化された。
 1942(昭和17)年に電力需要の増加に対応するため、小石ヶ浜に新たな水門を設置したことから、十六橋水門は現在は機能していない。
 水門西側にファン・ドールンの像があり、その西側に水門管理所の建物がある。

①十六橋水門

  

 

 


水門西側に「日本遺産」の説明板があり、以下のように記載されている。
十六橋水門
 十六橋水門は、会津方面にのみに流れていた湖水を東側の郡山方面の諸原野へも流す際に、猪苗代湖をダム化し湖の水位を調整するとともに、会津側の水利を守るために造られた施設です。安積疏水工事(※)で一番初めに工事が始まり、明治13年(1880年)に完成しました。当時は16の石造のアーチでできており、1門ごとに8枚の杉板をはめ込む木製扉を人の力によって開閉していました。明治末期から大正期には、日本の工業化を推し進めるべく東京に送電をおこなうため、電力用水の確保を目的とした大改修が行われ、現在の姿になりました。安積開拓・安積疏水開さく事業の歴史的構造物です。
※ 当時は「猪苗代湖疏水」
日本遺産「一本の水路」プロモーション協議会

◎所在地:〒969-3451 福島県会津若松市翁沢船場2299−2

②ファン・ドールンの像

  

③安積疏水戸ノ口水門事務所



 事務所の建造年は不明。


◎所在地:〒965-0201 福島県会津若松市湊町大字赤井戸ノ口30−2−31

④天鏡閣

 有栖川宮威仁親王が建設した別邸。1908(明治41)年8月に竣工。本館、別館、表門は1979(昭和54)年に国の重要文化財に指定された。
 1952(昭和27)年に、高松宮家から福島県に払い下げられた。現在は、一般公開されている。

表門 

 

別館

◎所在地:福島県耶麻郡猪苗代町大字翁沢字御殿山1048番地14


【交通など】
・十六橋水門
 JR猪苗代駅前より磐梯東都バスが出ている。終点「金の橋」で下車し、徒歩5分。
 バスは平日は1日5本(土日は3本)なので、ウェブページで時刻を確認のこと。
 料金は610円(2023.10現在)
・天鏡閣
 JR猪苗代駅から出ている上記のバスで、一つ手前の「長浜」下車、徒歩10分。
 料金は460円(2023.10現在)
 十六橋水門から山を越える徒歩ルートがある。所要時間約30分。(地図参照)
 


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