三笠・美唄の炭鉱遺産
Updated on 2014.09.04

 1873年(明治6年)、北海道開拓使が派遣した地下資源調査で、幌内に有望な石炭層があることが確認され、開発が始まった。幌内で採掘された石炭を小樽に運ぶために、小樽~幌内間に鉄道が敷設される(1880年(明治13年))。1889年(明治22年)には、幌内炭鉱と幌内鉄道は北炭(北海道炭砿鉄道会社)に払い下げられた。
 三笠・美唄地区にあった炭鉱は、『そらち炭鉱遺産散歩』
(北海道新聞空知「炭鉱」取材班編著、共同文化社、2003.10)によれば以下の通り。今回は、三笠、美唄の炭鉱遺産を訪問したので紹介する。
地域  炭砿の名称  開鉱~閉鉱 
三笠  北炭幌内炭鉱 1879~1989 
  北炭幾春別炭鉱  1885~1957 
  住友奔別炭鉱  1902~1971 
  住友弥生炭鉱  1905~1970 
美唄  三菱美唄炭鉱  1913~1973 
  三井美唄炭鉱  1918~1963 

【三笠地域の炭鉱遺産】
 北炭幌内炭鉱立櫓そばに、北炭幌内炭鉱の歴史を書いた説明板がたつ。

旧北炭幌内炭鉱立坑
 ・櫓(やぐら)の高さ:39m
 ・立坑構造:深さ800m、内径6.5m
 ・昇降機:搭乗人員50名
 ・工事期間:昭和40年2月~昭和41年12月

 明治元年(1868年)石狩村の木村吉太郎が小樽の本願寺別院の建築用材を探して幌内の山に入り、偶然に炭層が露出しているのを発見し、明治12年に北海道開拓使によって幌内煤田の開鉱に着手した。
 この頃には、石炭を掘る作業に空知集治監の多くの囚人たちが従事しており、同22年北海道炭礦鉄道会社(北炭)に経営が移ってからも同27年まで囚人労役は続いた。
 昭和41年(1966年)に、幌内・新の路無い両礦の深部に対する生産体制をとるため、この立坑が完成、42年4月新幌内炭礦は幌内炭礦に統合された。
 昭和50年11月、坑内ガス爆発による大災害が発生、地底に不明者13名を残し、坑内火災消火のため約400万トンの水を注水。一時は閉山の危機を迎えたが2年後に復旧を遂げた。大部分の坑道が水没した炭鉱の再開は世界に類例がない。
 昭和53年、北海道炭礦汽船株式会社から分離・独立し、北炭幌内炭鉱株式会社として新発足したが、国の石炭政策の影響により平成元年(1989年)9月に閉山、110年の歴史を閉じ、市内から炭鉱(ヤマ)の灯が全て消えた。
三笠市開庁120年記念事業 平成13年9月建立 

 幌内炭鉱立坑櫓

 
幌内炭鉱選炭場


 三笠小学校近くに空知集治監典獄レンガ煙突が残る。説明板には次のように書かれている。

空知集治監レンガ煙突
三笠市指定文化財 昭和45年11月17日指定
 明治15年(1882年)に空知集治監(今でいう刑務所)がこの地に開設されました。
 このレンガ煙突は、明治23年に建てられた集治監典獄(刑務所長)の感謝のもので、集治監自製であった。
 官舎の広さは、約80坪(261.6平方メートル)で、当時空知集治監を訪れた明治の要人のほとんどが宿泊したといわれている。
 集治監は、明治34年に廃監になったが、この間最も多いときには3千人余の囚人が収容され、未開の地の開墾や道路の開削など重労働に使役されていた。
 また、幌内炭鉱地内に空知集治監幌内外役所を設け、囚人たちは石炭採掘作業に従事した。
 囚人たちの三笠市開拓の功績には、はかりしれないものがあった。
三笠市開庁120年記念事業 平成13年9月建立 

  集治監典獄レンガ煙突


【美唄地域の炭鉱】
 美唄地域に残る最大規模の遺産は「炭鉱メモリアル森林公園」にある。三菱美唄炭鉱跡を公園に整備した園内には2基の立て坑櫓、開閉所建物、原炭ポケットが残る。掲示されている説明を以下に引用する。
(文章がおかしいところがあるがそのまま引用した)

<炭鉱メモリアル森林公園>
市民が炭鉱全盛期の往事を偲び、気軽に憩えるスポットとして、旧三菱美唄炭鉱跡地を1994年から1996年にかけて、北海道と美唄市が整備した公園である。
同鉱は1972年に閉山し、ほとんどの施設は撤去されたが、この跡地には、竪坑と開閉所・原炭と開閉所・原炭ポケットなどの一部が残されている。約3.6ヘクタールの広さで、遊歩道・設置アカマツ、エゾヤマザクラ等の植林と開閉所の修復や、あずまや・管理棟などが作られた。

<施設の概要>
◎竪坑
 1923年に完成し、櫓の高さは約20メートルで、深さは170メートル、直径6メートルの上風坑と下風坑を擁している。上風坑は主に坑内からの排気や人員の出入りと資材の搬入に下風坑は入気と原炭の搬出に使用された。1972年の閉山までに約5,100万トンが、この竪坑から出炭されている。

◎開閉所
 この地区内の炭鉱関連施設や設備機械の主要電源が総合的に管理され、電気施設や器具の修理も行われた。

◎原炭ポケット
 坑内で採掘された原炭を補完する所で、最大1,300トン収納可能な規模であった。

説明板にあった当時の配置 

 立て坑櫓

立て坑櫓 開閉所建物

開閉所建物 原炭ポケット

三菱美唄記念館 

三井美唄第二選炭場


【2号機関車と旧美唄鉄道東明駅舎】
 東明公園の近くに旧美唄鉄道の東明駅舎が残り、駅舎の裏手に4110形式十輪連結タンク機関車が屋外展示されている。説明板には次のように書かれている。

美唄市指定文化財第4号 2号機関車
 この機関車は、4110形式十輪へい結過熱機関車といいます。美唄鉄道株式会社が三菱造船神戸造船所に発注し大正8年(1919)11月に完成いたしました。以来昭和47年(1972)5月まで、美唄市の石炭産業発展に活躍して来ました。

特徴
1.原型はドイツから輸入した4100形をモデルとしております。
2.急勾配と曲線に強く30度の急勾配に登坂できるよう設計されております。
3.全部の動輪の上に、タンクと機関車の全重量がかかるためスリップが少なく雪にも強く設計されています。

仕様
気筒径及行程       533×610M/M
常用汽圧          13.0kg/cm2
火床面積          2.23m2
全伝熱面積         151.9m2
煙管蒸気伝熱面積    109.3m2
火部屋蒸気伝熱面積   8.9m2
過熱伝面積         33.7m2
水槽容量          7.3m3 
大煙管(直径×長×数)127×3962×22M/M
小煙管(直径×長×数)45×3962×136M/M
運転整譲時重量 65.28t
空車時重量 52.22t
燃料積載量 2.12t
全長 11.445m
全高 3.810m
制作費 221,609円34銭也

美唄市教育委員会 

 

  

【北炭幌内炭鉱立て坑櫓】
■所在地:北海道三笠市唐松青山町

■交通:JR岩見沢駅下車、中央バス三笠線「栄町」下車、徒歩15分

【北炭幌内炭鉱選炭場】
■所在地:北海道三笠市幌内本沢町
■交通:JR岩見沢駅下車、中央バス三笠線「三笠市民会館」下車、三笠市営バス「幌内1丁目」行に乗り換え、「幌内1丁目」下車、徒歩15分

【空知集治監典獄レンガ煙突】
■所在地:北海道三笠市本郷町
■交通:JR岩見沢駅下車、中央バス三笠線「三笠小」下車、徒歩10分

【炭鉱メモリアル森林公園】
■所在地:北海道美唄市東美唄町常盤台
■交通:なし
(途中のアルテピアッツァ美唄まで市民バスあり)
 私はタクシーを使った。美唄駅から公園まで2,700円

【三菱美唄記念館】
■開館:5月~10月
     平日は13:00~16:30
     土日祝日は9:00~17:00
■休館:月曜、火曜(祝日の場合は翌日)
■所在地:北海道美唄市東美唄町番町
■交通:なし(途中のアルテピアッツァ美唄まで市民バスあり)

【三井美唄第二選炭場】
■所在地:北海道美唄市盤の沢町本町
 (美唄市浄水場の北側)
■交通:JR美唄駅下車、市民バス東線乗車、「アルテピアッツァ」下車、徒歩5分

【旧美唄鉄道東明駅舎と2号機関車】
■所在地:北海道美唄市東明5条2丁目
■交通:JR美唄駅下車、市民バス東線乗車、「東明5条」下車、すぐ


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