弾正橋は、中央区宝町の楓川に架けられていたが、1913(大正2)年に新しい弾正橋が架けられ、元弾正橋と称した。その後、廃止となり、1929(昭和4)年に現在の場所に移された。鉄を主材料とする日本最古の橋とされ、鋳鉄橋から錬鉄橋への過渡期の橋として貴重である。
(2009.8撮影)
案内板には以下のような説明がある。
国指定重要文化財(建造物)
旧弾正橋(八幡橋)
富岡1-19~富岡2-7
昭和52年6月27日指定
八幡橋は、明治11年東京府の依頼により工部省赤羽製作所が製作した長さ15.2メートル、有効幅員2メートルの単径間アーチ形式の鉄橋である。もと京橋楓川(中央区)にかけられ弾正橋と称したが、大正2年(1913)市区改正事業により新しい弾正橋がかけられたので、元弾正橋と改称した。大正12年関東大震災後の帝都復興計画により、元弾正橋は廃橋となり、東京市は、昭和4年(1929)5月現在地に移して保存し、富岡八幡宮の東隣りであるので八幡橋と称した。アーチを鋳鉄製とし、引張材は錬鉄製の鋳錬混合の橋でありかつ独特な構造手法で施工してある。この橋は鋳鉄橋から錬鉄橋にいたる過渡期の鉄橋として近代橋梁技術史上価値の高い橋である。
江東区教育委員会 |
米土木学会栄誉賞の碑
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