出島和蘭商館跡 |
出島は、1636年、キリスト教布教を禁じるためにポルトガル人を幽閉するために作られた人工の島である。その後、1641年に平戸のオランダ商館が出島に移転し、鎖国の間、1859年まで西洋に開かれたわが国唯一の窓口となった。
明治以降、周辺の埋め立てが進み、1904(明治37)年、出島は姿を消してしまうが、1996(平成8)からの整備事業が進み、商館等の復元が行われている。
現在は、「水門」、「カピタン部屋」、「乙名部屋」、「料理部屋」、「ヘトル部屋」、「一番船船頭部屋」、「一番蔵」、「二番蔵」、「三番蔵」、「蘭学館」、「新石倉」、「表門」、「旧石倉」、「旧長崎内外クラブ」、「旧出島神学校」などが復元されている。また、ミニ出島による当時の模型の展示などもある。
カピタン部屋 天球儀
カピタン部屋内部 ミニ出島
ブロンズ製12ポンド砲
(説明文)
この青銅製大砲は、昭和29年(1954)浦上河口付近で発見されました。オランダ船の絵姿と、オランダ東
インド会社の社章「VOC」および「AMSTERDAM ANNO 1640」の文字が刻まれています。このことから寛永
17年(1640)に鋳造界の名門アスウェーラス・コスター(1604〜61)によって製作され、アムステルダム支
部所属の船舶に搭載されていたと考えられます。
新石倉 旧石倉
旧長崎内外クラブ 旧出島神学校
鉄製大砲
(説明文)
昭和39年(1964)に、浦上川河口付近から引き上げられた大砲。もとはオランダ船に搭載されていたもの
で、何らかの事情により海中に残されました。長崎港と浦上川河口部では、オランダ船の座礁や船の搭
載砲を海中に落とした記録などが残っています。アムステルダムをあらわすAとオランダ東インド会社
をあらわすVOCのマークが刻まれています。