出島橋 |
出島は、人工の島で、1641年に平戸のオランダ商館が出島に移転し、1859年まで西洋に開かれたわが国唯一の窓口となった。明治以降、周辺の埋め立てが進み、1904(明治37)年、出島は姿を消してしまう。この出島跡の北側を中島川が流れており、出島跡の東側の中島川に架けられた橋が出島橋である。現役の日本最古の鉄製道路橋で、2003(平成15)年、土木学会が推奨土木遺産に認定した。以下は、その説明文。
出島橋 所有者:長崎市 明治時代に行われた中島川の変流工事に関連して、明治23(1890)年に中島川の河口に鉄製の橋(新川口橋)が架けられました。その後、この橋は、明治43(1910)年に旧出島橋の老朽化に伴い、現在の場所に移設され、名称を出島橋と改称しました。 構造は、部材がボルトで結合されたプラットトラスで、その鉄材は、アメリカ合衆国から輸入され、架設工事は、日本人監督の下に日本土木会社が行いました。 一般に使用されている道路橋としては、日本でもっとも古い橋梁であり、日本の近代橋梁建設の歴史において貴重な歴史的遺産であることから、平成15年11月に土木学会より選奨土木遺産として認定をうけました。 |
南側から見る
銘板
◆所在地:長崎県長崎市江戸町・出島町 ◆交通:長崎電気軌道1系統「築町」下車、徒歩2分 |
■おまけの史跡
九州で最初に電話交換を開始した「長崎電話交換局之跡」の碑。出島橋の南数十mの道路東側にある。石碑と説明のプレートのみ。
説明のプレートには次のように書かれている。
長崎電話交換局之跡 長崎で電話交換業務が開始されたのは明治32年(1899)4月1日で、九州最初の開局であった。交換業務は昼間は女性、夜間は男性が従事したが明治36年(1903)には女子交換手だけとなり愛称「紫式部」(和服に紫の袴着用)が職場の花として市民にもてはやされた。 |