函館の古い建築物
Updated on 2006.8.15

日本最古のコンクリート電柱

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 この電柱は、大正12年(1923年)10月、当時の函館水電会社(現北海道電力)が建てたもので、現存するコンクリート電柱では日本最古のものである。
 高さ10メートルのこの電柱は、現場打ち工法で、底辺が47センチメートル四方、上辺が19.5センチメートル四方の鉄筋コンクリート造りで角錐形という珍しいものである。
 火災が頻繁に発生した当時の函館では、この頃から耐火建築が増えはじめたが、この電柱もそのあらわれである。
 後に、同形の電柱が建物をはさんで建てられたため「夫婦電柱」と呼ばれて市民の話題となった。木柱が普通であった当時から今日まで、耐用年数を越えてもなお現役として街の移り変わりを見守っている。
[函館市作成の説明文より]

中華会館

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 中華会館は純中国様式の建築として日本に現存する唯一の貴重な建物である。
 函館から中国への海産物貿易の盛んな頃に在函華商が信仰する三国時代の蜀の武将として活躍した関羽=関帝を奉祀する聖所として中国から大工・彫刻師・漆工らを招き、煉瓦・祭壇・什器等資材も中国から取り寄せ、約3年の工期と巨費を投じて明治43年(1910年)12月に竣工した。
[函館市作成の説明文より]

旧北海道庁函館支庁庁舎

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 旧北海道庁函館支庁庁舎は、明治42年(1909年)に建てられ、公園造成と合わせて昭和57年(1982年)に修復整備されたものです。特徴のひとつに柱廊玄関があり、2階に張り出した屋根が柱頭飾り(コリント式)と中央部に膨らみのある(エンタシス風)巨大な4本の柱で支えられています。
[函館市作成の説明文より]

旧開拓使函館支庁書籍庫

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旧函館区公会堂

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 明治40年(1907年)8月の大火で消失した町会所建設のために函館の豪商相馬哲平氏は当時の金額で5万円の大金を寄付した。
 この資金を元に明治43年(1910年)に現在の公会堂が建設された。
 この建物は北海道の代表的な明治洋風建築物で左右対称になっており、2階にはベランダを配しているほか屋根窓を置き、玄関、左右入り口のポーチの円柱に柱頭飾りがあるなど特徴的な様式を表している。
[函館市作成の説明文より]

遺愛幼稚園

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 明治28年(1895年)遺愛女学校併置の遺愛幼稚園として創立されたが、明治40年(1907年)8月の大火で遺愛女学校ともども類焼。現幼稚園園舎は米国篤志家の寄付により大正2年(1913年)に建造された。この地は学校法人遺愛学院の発祥の地である。
 幾何学的なブラケットをふかし、櫛形ペディメントを見せるポーチ部は、正面をガラス張りとし、両側二方を吹き放している。外壁をピンク色、隅柱・開口部などを白色に仕上げた控えめなスティックスタイルの建物である。
[函館市作成の説明文より]

ハリストス正教会

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 安政6年(1859年)敷地内に建てられた初代ロシア領事館の付属聖堂として建立されたのが始まりで、正しくは「函館復活聖堂」という。
 文久元年(1861年)青年司祭ニコライが、ロシアから来函し切支丹解禁を待って日本で最初にギリシア正教を布教した。(明治5年<1872年>東京転任)
 明治40年(1907年)大火で類焼したが、大正5年(1916年)聖堂はロシア風ビザンチン様式で再建された。
 この聖堂内部に、丸天井を装架しているのがこの様式の特徴である。屋根に装置された数多くの十字架と、その装飾部を飾る冠状構造が独特の形状をつくっており、緑色の銅板屋根は昭和43年(1968年)に改装され、緑青を科学的に熟成したものである。
[函館市作成の説明文より]

カトリック元町教会

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 元町教会は、安政6年(1859年)フランスの宣教師メルメ・ドゥ・カション(パリー外国宣教会司祭)が仮聖堂を建てたのに始まるもので、徳川幕府によるキリシタン追放令以降の日本におけるキリスト教宣教再開の先駆として横浜の山手、長崎の大浦と共に最も古い歴史を持つ教会である。
明治元年(1868年)同宣教会司祭ムニクー、アンブルステル両氏が現地に仮聖堂を建て、その後、明治10年(1877年)同宣教会司祭マラン氏により最初の聖堂が建立された。
 以後3回の大火で類焼したのち、大正13年(1924年)現在の大聖堂が完成した。この大聖堂は、ゴシックスタイルの耐火建築であるが、中央祭壇、左右両壁十四景十字架道行の壁像は、イタリーのチロル地方の木彫で、時のローマ教皇ベネディクト十五世から贈られた由緒あるものである。
[函館市作成の説明文より]

函館の倉庫群

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