神崎煉瓦ホフマン式輪窯 |
もともとは1897年に、舞鶴軍港建設に必要なれんがを登り窯で焼いたのが始まりです。この登り窯は1回焼くたびに火を消さなくてはならないので、大正の末期頃、高さ24mの主煙突と窯を輪窯の一部分に再利用し、ホフマン式輪窯に改良されました。輪窯は、長径45m、短径9mの楕円形輪窯で、主煙突のほかに各焼成室ごとに小型煙突(10本)を保有し、内部は高さ1.8m、幅2.8mのアーチ状のトンネルとなっています。
昭和20年代になり、れんがの需要も減少し、原土も底をついてきたため、昭和33年頃、れんがの製造は中止となりました。
以下の写真は「赤れんが博物館」に展示されているホフマン式輪窯の模型です。
模型煉瓦の積み方
ホフマン窯(ホフマン式輪窯)とは
リング状の窯で輪環窯ともいい、隣接する焼成室に火を順次周回させて焼成しますので、鎮火のロスを防ぎ、大量のれんがを連続して焼き続けることができます。ドイツ人のホフマンという人が考案したのでこの名がつけられています。 ホフマン窯は、昭和30年頃には全国で57基を数え、月間焼成能力は2000万個をこえるほどでした。しかし、その後、現在のれんが製造の主流となっているトンネル窯が普及し、今日わが国では全国で4基しかありません。 [以上の説明は、「赤れんが博物館」の説明文から引用しています。] |
窯の内部
◆所在地:舞鶴市西神崎
◆交通機関:北近畿タンゴ鉄道「丹後神崎駅」下車 徒歩20分 ◆ホフマン窯は、神崎コンクリート(株)が所有していたが、窯を含む工場の敷地は競売にかけられていた。しかし、2003年2月5日、京都地裁舞鶴支部で競売の開札が行われ、舞鶴市の男性が落札した。 |