日本煉瓦資料館とホフマン輪窯 |
明治政府の「官庁集中計画」のため、1886(明治19)年臨時建築局が設けられ、ドイツのW.ベックマンが招聘された。この建築計画のために大量の煉瓦が必要になり、臨時建築局総裁の井上馨は渋沢栄一に相談。渋沢の故郷の上敷免の地が選ばれ、1887(明治20)年10月25日に日本煉瓦製造会社が設立された。
資料館の建物は、煉瓦工場建設のため来日したドイツ人N.チーゼの居館として、チーゼ自身の設計により、1888(明治21)年に建設され、1978(昭和53)年まで工場事務所として使われた。
煉瓦の展示 天井の照明
展示室入口 煉瓦製造の説明展示
館内廊下 煉瓦製造の型枠
焼きごて刻印
現存するホフマン輪窯6号窯は、1907(明治40)年頃に建設されたものである。操業開始時の1889(明治22)年には、3基の輪窯が作られたという。6号窯は長さ56.5m、幅20m、高さ3.3mで、日本に現存するホフマン窯の中では最大規模である。窯内は18室に分かれ、月産約65万個の煉瓦が生産されたという。6号窯は現工場の建設により、1968(昭和43)年に操業を停止した。
窯の外部(柱は木造建物のもの)
ホフマン窯はトタン張りの木造建物で覆われている
旧変電室は1906(明治39)年に高崎水力電気(株)から電燈を曳いた時に建設されたものである。
工場で生産された煉瓦は当初、利根川の舟運で運ばれていたが、1895(明治28)年煉瓦工場から深谷駅まで専用鉄道が敷設され、鉄道で運ばれるようになった。線路跡は現在「あかね通り」という遊歩道になっている。この鉄道に関係する橋梁が、「備前渠橋梁」と「福川橋梁」、「唐沢川橋梁」である。「福川橋梁」はあかね通りの途中にあるブリッジパークにある。
史料館裏手には鉄道の線路がある。SJC-92-KTK-1894の刻印がある。
備前渠橋梁と煉瓦アーチ橋
避溢鉄橋 福川橋梁
唐沢川橋梁
◆開館時間:10:00〜16:00(2007年8月、9月は工場内の工事のため、閉鎖中である)→問い合わせること!!
◆入館料:大人200円、小〜大学生100円 ◆所在地:〒366-0029 埼玉県深谷市上敷免89番地 ◆交通:JR高崎線「深谷駅」下車、タクシーで15分(料金は約1500円) |
【おまけ】深谷市内の近代建築群
深谷商業高校
塚本燃料商会(本住町1-5)大正初期
常磐園茶舗倉庫(仲町1-15)明治末期
旧柳瀬金物店倉庫(深谷町9)1933年頃
福島屋商店工場(深谷町10-26)1921年頃
小林商店倉庫(西島4丁目3-50)1912年
深谷駅舎 深谷駅前にある渋沢栄一像