>京都の産業遺産へ >HOMEへ Update:2025/10/26
堀川第一橋・第二橋
堀川第一橋は「中立売橋」と称し、1873(明治6)年6月に、京都市内の橋で最初に石橋に架け替えられた橋である。
この橋は御所と二条城を結ぶ橋として重視されており、そのため最初に石橋になったのではないかと言われている。
橋のサイズは、橋長 13.55m、全幅 8.20m、径間 5.80m。
北からのぞむ
東からのぞむ
南からのぞむ
北からのぞむ
東南角の親柱
東北角の親柱
橋は、堀川通と中立売通の交差点の東側にあり、堀川通と東堀川通にまたがる。橋は円形の石造りアーチ橋で、あとで述べる堀川第二橋と同じ構造である。
橋の親柱には「堀川第一橋」の文字とともに、次のような文字が刻まれている。「京都府知事 長谷信篤/京都府参事 槙村正直/建築主任 京都府十二等出仕 中村孝行」
また、橋の東北側の親柱には「几号水準点」(きごう)の刻印「不」が刻まれている。これは明治時代に内務省が国内の高低測量をおこなった時の水準点である。測量の際に、几号水準点の横棒の溝に金属製の台(ベンチ)をひっかけて、ベンチ上に標尺を載せて測量した。漢字の「不」に似ているので不号水準点ともいわれる。
東北角の親柱に刻まれた几号標準点
橋の南側には、京都市電北野線が堀川をまたいだ橋梁の土台跡が残る。
1895(明治28)年9月に市電中立売線が開通し、府庁前から東堀川通りを堀川下立売、堀川中立売と結んだ。1900(明治33)年には北野線が開通し堀川中立売から下ノ森(北野車庫)まで延長された。北野線が北野天満宮まで延長されたのは1912(明治45)年5月のことである。遺構は東側の煉瓦造が単線時のもので、西側のものが複線時のものと説明書きにはある。
西側の遺構
東側の遺構
堀川中立売り橋梁を走る市電:『京都市電の廃線跡を探る』中村浩史、岐阜新聞社、2003.10 より引用
堀川第二橋は、下立売通の堀川通と東堀川通に架けられた橋である。下立売橋と呼ばれる。道路からみたら普通のコンクリート橋だが、堀川に降りてみると円形のアーチ橋が南側に残っているのがわかる。この橋も第一橋と同時期に建造された。このほかにも、東山区本町十八丁目に「伏水街道第三橋」、伏見区深草直違橋北一丁目に「伏水街道第四橋」が現存している。
西南角の親柱
北からのぞむ
| ◆場所: 堀川第一橋:京都市上京区東堀川中立売 役人町 堀川第二橋:京都市上京区東堀川下立売 東橋詰町 ![]() |