加古川市の近代建築    2023.04.29

 加古川市には、日本毛織や多木化学の工場があり、東播磨地方の産業を牽引してきた。これらの工場群が残されている。加古川駅の西には日本毛織の工場があったが1976年に閉鎖され、機能はさらに西にある印南(いんなみ)工場に移った。跡地は商業施設になったが、唯一倉庫一棟が現存する。また、山陽電鉄別府(べふ)駅の南には多木化学の工場や施設がある。(撮影は、2023年4月)

■加古川駅周辺

①日本毛織印南工場

 印南工場は、1919年に創業を開始した。これより先1899年に開設された加古川工場は1976年に閉鎖され、印南工場に機能を統合された。煉瓦造りの工場群や給水塔が残り、現役の工場として稼働している。

給水塔 工場

 工場

 のこぎり屋根

レンガ塀

 工場内の撮影はできないので、加古川橋を渡ったところの北東にはしる細い道に、所々細い路地が延びているので、そこから撮影した。また、「NIKKE」の看板があるのは、国道2号線沿いのバス停付近である。JR加古川駅からは徒歩20分くらい。バスは加古川駅より神姫バス「船頭」下車徒歩約3分。

◎所在地:加古川市米田町440

②日本毛織社宅群

 日本毛織の木造社宅群。明治末期から昭和初期に建造されたもの。

 


◎所在地:加古川市加古川町239-1

③神田家住宅

 瀬戸物商を営んだ神田家の洋館。地下1階地上2階の煉瓦造。元はこの洋館の南道路側に木造2階建の店舗があったが、洋館の3階部分とともに取り壊された。 http://www5a.biglobe.ne.jp/~frt/FHOME/kanda/KY.htm が詳しい。



◎所在地:加古川市加古川町459

④日本毛織加古川工場6号倉庫

 加古川駅の南側にあった日本毛織加古川工場(1899年操業)のうち、唯一残る建造物である。工場の他の施設は解体され、ショッピングモールになったが、この倉庫のみが残り、カラオケ店として使用されていたが、それも撤退し現在は無人である。

6号倉庫

◎所在地:加古川市加古川町寺家町173-1

⑤旧加古川町公会堂(加古川市立図書館)

 1935年に加古川町の公会堂として竣工した。1971年からは図書館として使用される。現在は書庫となっていて図書館としては使用されていない。

 

◎所在地:加古川市加古川町木村226-1


■別府駅周辺

 山陽電鉄「別府」駅の南には、多木化学ゆかりの近代建築がある。別府駅から歩くと15分ほどだが、JR神戸線「加古川」駅からは「かこバス」で約40分かかる。加古川駅南口の(3)番バス乗り場から出る別府ルートに乗車し、「スポーツ交流館前」下車。バスの本数は1時間に1本程度なので、調べてから行くこと。



⑥多木浜洋館主屋及び記念碑

 多木(たき)化学(株)は、1885(明治18)年に多木粂次郎が加古川市において、我が国最初の人造肥料として蒸製骨粉の製造を開始したのが始まりで、1918(対象7)年に株式会社多木製肥所を設立した。この建物は迎賓用に1933(昭和8)年に建造されたものである。建物横の広場には、多木粂次郎を顕彰する碑が建てられている。元々は銅像で、下に「肥料王」との文字があったが,今は「肥料主」となっている。

 

 

肥料主の記念碑

◎所在地:加古川市別府町東町174

⑦多木化学(株)本社事務所

 多木浜洋館から別府駅への帰り道に本社事務所が建っている。鋤を組み合わせた社章のマークが建物のあちこちに見える。この建物は木造2階建で、1915(大正4)年に竣工したものである。玄関横には、会社の創業時に獣骨を砕いた石臼のモニュメントが建っている。

 

 

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