桐生市の織物工場群と近代建築 |
桐生では、1889(明治22)年に日本織物株式会社桐生工場が建設されて以降、日本絹撚糸株式会社、両毛製織株式会社などの工場が建設され、近代織物業が栄えた。こうした工場ではノコギリ屋根が採用され、桐生が戦災に遭わなかったこともあり、多くのノコギリ屋根工場や、近代建築が現存している。
桐生市では、1992(平成4)年に「近代化遺産拠点都市」宣言を行い、活用、保存に努力している。「桐生市の近代化遺産」というリーフレットが桐生市教育委員会文化財保護課から出されている。
独フォイト製タービン(1924)
日本織物煉瓦積遺構(1887)
桐生市指定史跡 日本織物株式会社発電所跡及び煉瓦積遺構 名称 日本織物株式会社発電所跡及び煉瓦積遺構 所在地 桐生市織姫町1041番地1 指定年月日 昭和44年7月7日 所有者 桐生市 日本織物株式会社(資本金50万円)は明治20年12月に設立され、同22年に一部、同23年に前面操業された。当時の操業の大半は分業による家内制手工業であったが、日本織物株式会社は撚糸・製織・染色・整理など、洋式機械による一貫した織物生産を行い、経営方法まで近代的であった。大規模な工場群は鋸屋根をもつ煉瓦造の建物であり、明治時代における初期の様式織物工場としては、桐生で初めてであるばかりでなく、全国的にみても画期的なものであった。 水力発電に利用した水は、渡良瀬川の丸山下取水口から取り入れ、延長約1キロメートルの導水路がここまで築かれた。発電所には、アメリカのスタウトミルテンプル会社製(168馬力)のタービン2基を設置し、動力の一部を工場の動力源として、明治22年6月に運転をはじめた。同時にこの動力を用いて発電を行い、明治24年11月から100キロワット、240ボルトの交流発電機を運転し、工場と寄宿舎に400灯の電灯を点灯した。 明治27年5月に電灯会社を設立させ、桐生町内に1000灯を点灯させたが、10燭光の電球で5燭光くらいの明るさだったという。この2基のタービンは、大正13年(1924)にドイツのフォイト会社製(320馬力)と直結させた216キロワット電動機1台に取り換えられた。今残っているのはこの大正期のものであり、昭和22年の水害で決壊するまで使用され、桐生市の近代織物産業発展の原動力となった。 日本織物株式会社の工場建設には、そのために設立された「桐生煉瓦製造会社」製の「(刻印)」の刻印を有する煉瓦が用いられ、ここにある門柱状の煉瓦積遺構は桐生産の煉瓦であり、水路を潜り発電所と工場をつなぐトンネルの支えとして造られたものである。 明治20年代における民間企業としての日本織物株式会社は、工場の規模、構造等のすべてにおいて他に例をみないものであり、ここに遺された発電所跡や煉瓦積遺構は、桐生の近代化を象徴するものである。 平成27年3月設置 桐生市教育委員会 |
旧模範工場桐生撚糸合資会社(明治末〜大正初年)
桐生市指定重要文化財 旧模範工場 桐生撚糸合資会社事務所棟 (桐生市近代化遺産絹撚記念館) 旧模範工場桐生撚糸合資会社は、明治35年12月1日、当時の農商務省の殖産興業施策によって、現在地である桐生町大字安楽土小宇仁田所に設立された。明治41年に模範工場桐生撚糸株式会社となり、大正7年に日本絹撚株式会社と改称された。 当時の両毛地方の機業の現状にあわせた最新の様式撚糸工場として、創建時の敷地面積は約千五百坪、資本金は三万円であり、初代桐生市議会議長の前原悠一郎らにより、明治36年(1903年)3月に工場建設に着手し、同年10月に竣工した。日本絹撚株式会社当時においては、敷地面積一万四千三百十五坪、資本金六十万円となり、日本最大の撚糸工場に発展した。 現JR桐生駅南口一帯の広大な敷地に石造鋸屋根の工場群を配し洋式機械を導入した近代工場であったが、昭和19年8月、企業整備令により軍需工場となり、戦後本格的に再建されることはなかった。現存しているのは、事務所棟のみである。 建築時期については、明治末から大正の始め(ママ)の間に造られたと考えられる。建物の構造は大谷石積木骨洋風二階建てであり、外部についてはセメント漆喰にて、内部については白漆喰仕上げの建造物となっている。洋風の石造建築物については遺存令が少なく、群馬県最古の洋風石造建造 物であるといわれている。 戦後、さまざまな手を経て、平成5年6月近代化遺産の拠点都市にふさわしい町作りのシンボルとして桐生市が取得した。 所在地:桐生市巴町2丁目1832番13 敷地面積:643.16平方メートル 建築面積:373.16平方メートル 指定年月日:平成6年10月14日 |
旧堀祐織物
旧堀祐織物の隣にあった建物
桐生倶楽部会館(1919)
桐生倶楽部会館
国登録有形文化財 桐生倶楽部会館 平成8年12月20日登録 登録番号 第10-0005号 構造:木造二階建・瓦葺 建築面積:485平方メートル 建築年代:大正8年(1919) 本建物は、明治33年(1900)に会員相互の親睦と実業の健全な発展を目的として結成された社交クラブである桐生懇話会が、大正7年(1918)に社団法人桐生倶楽部となり、付属の会館は大正8年(1919)現在地に建築されたものである。 桐生倶楽部は、社員相互の親睦、公益に関する事業の考究を目的として講演会の開催や文化活動などを行い、桐生の発展や文化の向上に果たした役割は大きく、現在も活発な活動を続けている。 建物については、木造二階建、寄棟造瓦葺で、外壁をリシン吹付けとしている。赤瓦の屋根、上げ下げや開きの窓(木製のパテ留め)、小さな切妻の瓦屋根をのせた4本の煙突、オーダーの見られる列柱の玄関ポーチ、上部を半円形の欄間とした出入口などは独特の概観を呈している。比較的しょうしゃな感じのするスパニッシュコロニアル様式を基調とした南欧風の建物である。 文化財登録制度に基づき「造形の規範となっているもの」として登録文化財となった。 |
旧森秀織物株式会社
旧住善織物工場(1922)
金谷レース工業株式会社(1919)
旧斎憲テキスタイル工場(1927)
旧桐生高等染織学校本館・講堂(1916)
旧桐生高等染織学校門衛所(1916)
旧北側織物株式会社
旧矢野藏群
上毛電鉄西桐生駅(1928)
西桐生駅舎内部
桐生市立西公民館本館
桐生織物会館旧館(1934)
旧金善ビル(1926)
◆所在地:群馬県桐生市 ◆交通:JR両毛線「桐生駅」下車、または上毛電気鉄道「西桐生駅」下車 ◆連絡:桐生市教育委員会文化財保護課 電話 0277−40−1212 |