柳ヶ瀬隧道・小刀根隧道 |
柳ヶ瀬隧道(西側) 小刀根隧道(西側)
敦賀〜米原間の鉄道敷設は、明治政府が行った東京〜横浜間、京都〜神戸間の計画の一つである。工事は明治13年4月から行われ、明治14年には曽々木・刀根・小刀根トンネルが、明治16年には柳ヶ瀬トンネルが貫通した。その後、新橋〜神戸間の鉄道と接続され、北陸本線として直江津まで全通した。
当時は北陸米を船で大阪の市場に運んでいた。新潟・敦賀〜下関経由〜大阪や、敦賀(金ヶ崎)〜琵琶湖〜淀川水運のルートで3ヶ月から半年かかっていた。鉄道の敷設によってこれが3日に短縮された。
柳ヶ瀬トンネルは、完成当時日本最長の1352mで、昭和32年に近江塩津経由の新線が開業したため、柳ヶ瀬線として営業が行われた。その後、国鉄バスに転換され(1964)、1987年には一般県道として利用されるようになる。単線トンネルのため、相互交通ができないため両入り口に信号機が設置されている。平成15年11月18日に土木学会土木遺産の選奨を受けている。
小刀根トンネルは、建設当時の姿をそのまま残すトンネルとして、日本最古といえるもので、貴重である。平成8年6月11日には敦賀市指定文化財の指定を受けている。総高6.2m 全幅16.7m 総延長56m 。
柳ヶ瀬隧道の碑 入口にある信号機(柳ヶ瀬隧道)
隧道上部にある明治14年の文字(小刀根トンネル)
トンネル内部(小刀根トンネル) 小刀根トンネル(東側)
旧湯尾隧道