呉市の近代建築・産業遺産          2022.10.5

 呉市の近代建築と産業遺産について以下に紹介する。撮影は、2007年8月である。


■旧海軍工廠塔時計

 入船山公園の入口に立つ。旧海軍工廠造機部の屋上にあったものを移設、復元したもの。
 説明板の記述は次の通りである。

旧呉海軍工廠塔時計  呉市有形文化財(昭和56年(1981年)指定)
 この時計は、大正10年(1921年)に旧海軍工廠造機部の屋上に設置され、昭和20年(1945年)の終戦まで時を刻んでいたもので、昭和46年(1071年)に入船山記念館内に移設されました。
 昭和56年(1981年)、有志の復元委員会と市が、愛知時計電機株式会社のご協力を得て現在の位置に復元し、時計としての機能を回復しました。
 ●塔時計全体の高さは約10m
 ●本体部分は一辺2.4mの立方体
 ●四方に直径1.5mの文字板
 ●大正期としては画期的な電動親子式衝動時計
 ●動力継続装置、動力伝達装置、軸受と潤滑装置などに艦艇兵器独特の機械様式
 ●歯車は歯切加工技術に優れ、材質はネーバル黄銅
(以下、英文は略)
 

 

◎所在地:呉市幸町4-6入船山公園


■旧高烏砲台火薬庫
 呉軍港を防備するために警固屋地域に建設された砲台にあった火薬庫を入船山公園に移設したもの。
 説明板の記述は以下の通りである。

火薬庫
 この石造りの建物は、呉軍港一帯の防備の為、明治32年(1899年)から3箇年をかけて建てられたものの一つで、火薬を保管するものです。
 昭和42年(1967年)に警固屋高烏(たかがらす)砲台跡から移築したものです。
(以下、英文は略)

 

◎所在地:呉市幸町4-6入船山公園

■旧呉鎮守府司令長官官舎(呉市入船山記念館)
 1905(明治38)年に建造された。1995年に、建築当時の姿に復原したもの。
 説明板には次のように書かれている。

旧呉鎮守府司令長官官舎  国重要文化財(平成10年(1998年)指定)
 明治22年(1889年)、洋風木造総2階建の軍政会議所兼水交社が建てられ、明治25年(1892年)からは長官官舎(初代~6代)として使用されましたが、明治38年(1905年)の芸予地震で崩壊したため、同年、その資材を利用して現在の建物が建てられました。
 その後は、昭和20年(1945年)まで長官官舎(7代~32代)として使用され、戦後は昭和31年(1956年)まで進駐していた占領軍の司令官官舎として約10年間使用されました。
 その後呉市に引き継がれ、昭和41年(1966年)に「入船山」は呉市の史跡となり、昭和42年(1967年)から一般公開されました。
 財団法人文化財建造物保存技術協会のご強力により明治38年(1905年)当時の資料が発見されたことを受け、平成3年(1991年)から平成7年(1995年)にかけて調査、解体、修復事業を行い、明治38年(1905年)の建築当初の姿に復原したものです。
 この建物は木造平屋建で洋館部と和館部からなっています。洋館部は英国風ハーフティンバー様式を取り入れ、屋根は天然スレートの魚鱗葺きになっています。
(以下、英文は略) 

 

◎所在地:呉市幸町4-6入船山公園

■番兵塔
 
長官官舎や海兵団等の警備のために、入口にあった番兵用の建物。どこのものかについては記述なし。

 

◎所在地:呉市幸町4-6入船山公園

■旧呉海軍工廠造船部造船船渠(現ジャパンマリンユナイテッド呉事業所)
 1889(明治22)年、呉鎮守府が作られたのと同時期に造船部が開設された。太平洋戦争中は、戦艦大和や武蔵を建造した。これらの線間を建造したドックは埋め立てられてないそうだが、旧第3船渠、旧第4船渠が残る。写真は「歴史の見える丘」から見たもの。

 

◎所在地:呉市昭和町1

■旧呉鎮守府水道施設(呉市水道局宮原浄水場低区配水池)
 
1890(明治23)年竣工。横浜、函館に続き、全国で3番目にできた軍用水道施設。

 
 
◎所在地:呉市青山町5-2

■旧海軍呉鎮守府庁舎(海上自衛隊呉総監部第一庁舎)
 旧海軍の呉鎮守府庁舎。現在は海上自衛隊が使用。1907(明治40)年竣工。

 

◎所在地:呉市幸町8-1

■旧呉鎮守府文庫測器庫(海上自衛隊呉警務隊本部庁舎)
 旧海軍の呉鎮守府文庫測器庫。1889(明治22)年竣工。

 

◎所在地:呉市幸町8-1


■旧呉海軍艦船部庁舎(海上自衛隊造修補給所庁舎)
 
旧海軍の艦船部庁舎。昭和7年竣工といわれている。

(右の建物)

◎所在地:呉市幸町8-1


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