旧舞鶴要塞 | >戻る >HOMEへ Update:2013/04/30 |
1889(明治22)年に公布された鎮守府条例に基づき、舞鶴に「第四海軍区・鎮守府」が設置される。1894(明治27)年の日清戦争、1904(明治37)年の日露戦争に見られるように、度重なる大戦が行われていた当時、海岸防備は軍事上必要欠くべからざる策であった。1897(明治30)年の舞鶴軍港の工事がはじまると同時に、舞鶴要塞砲兵大隊が業務を開始し、葦谷砲台の工事が開始された。軍は、葦谷(あしだに)砲台に続き、浦入(うらにゅう)砲台、金岬(かながさき)砲台、槙山(まきやま)砲台、建部山(たてべやま)保塁、吉坂(きっさか)保塁の工事を行い、1903(明治36)年に完成させた。その後、1934(昭和9)年に要塞整理要領により、金岬砲台を撤去し、新たに新井崎(にいざき)砲台、成生岬(なりゅうみさき)砲台を設置した。
2013年4月末、舞鶴赤煉瓦倶楽部の主催で、金岬砲台跡、槙山砲台跡の見学が企画された。倶楽部メンバーの自家用車に乗車させていただき、舞鶴湾の西港を右手に、湾に沿って進む。途中から左に折れ、山道を登る。山道に入り10分程の地点で下車し、北に向かって歩く。車で登ってきた道をそのまま行くと槙山砲台跡に出る。金岬砲台跡は、車では行くことができない。山道は、いたるところに倒木が道をふさぎ、一部崩落した地点もあって、緊張の連続であった。約30分ほどで金岬砲台跡に到着した。
金岬砲台は、1934年以降使用されていないこともあってか、草木におおわれていたが、建物自体は保存状態もよく、煉瓦等の剥離もほとんどないし、コンクリートの石灰化も少なかった。砲台の設置部も形状がわかる程度に残っており、人の手が入らないわりには保存状態はよいと感じた。まず、砲台跡までの道の整備が必要であろう。
槙山砲台跡へは車で行くことができる。ここにはNHKの中継アンテナが設置され、ハンググライダーの滑空地点にもなっているためかと思われる。槙山砲台跡は、煉瓦の建造物はよく残っているが、砲台跡は土に埋もれてしまっている。ハンググライダーの滑空地点は芝生に覆われ、すばらしい景色である。神崎、由良の海が眼下に広がり、絶景の一言である。
【金岬砲台跡の写真】
門柱
砲台跡
【槙山砲台跡の写真】
【金岬(かながさき)砲台跡】 ◆所在地:舞鶴市白杉(北緯35.31.05、東経135.19.26 付近) ◆交通:公共交通機関なし。(本文参照) 【槙山(まきやま)砲台跡】 ◆所在地:舞鶴市東神崎、白杉、吉田(北緯35.30.07、東経135.18.54 付近) ◆交通:公共交通機関なし。(本文参照) |