松本市の近代建築   update:2019/08/19

■旧開智学校
 教育県といわれる長野県の原点ともいうべき建築である。学制発布後の1875(明治8)年の全国の就学率が35%だったとき、筑摩県の就学率は72%だったという。松本の人たちの献金で建設費の多くを賄ったという気風が現代に通じているようだ。開智学校は、我が国最古の洋風小学校の一つで、1876(明治9)年竣工の擬洋風建築である。1963年に河川改修のため現在の地に解体・移築され、1965年から教育資料博物館として公開された。
 松本市開智2丁目4番12号






管理事務所

説明板には以下のような記述がある。
重要文化財旧開智学校校舎
昭和36年3月23日指定
規模・構造 木造二階建 寄棟造 中央部八角塔屋付 建築面積517㎡(157坪)
設計・施工 立石清重(たていしせいじゅう)(1829-1894松本)
沿革
 明治6年(1873)5月 創立
 明治9年(1876)4月 松本の中心部を流れる女鳥羽川(おとばがわ)沿い(現 中央1丁目)に擬洋風
          校舎を新築。当初は二階建の教室棟を逆L字型に配し、延べ面積2653㎡、
          児童収容数1300人の規模だった。建築費約1万1千円のおよそ7割を松本全
          住民の寄附によって建築した。
 昭和36年(1961)3月 国の重要文化財に指定された。
 昭和38年(1963)3月 閉校。小学校として90年の歴史を閉じる。
 昭和39年(1964)8月 現在地へ解体、移築、復元。
 昭和40年(1965)4月 教育資料館として公開。所蔵資料約10万点、その一部を館内に展示して
           いる。
 (公開時間、観覧料等は略)


■旧司祭館
 
松本カトリック教会の司祭館であったが、1991(平成3)年に開智学校の横に移転・復原された。
 松本市開智2丁目6番24号



説明板には以下のような記述がある。
旧司祭館
[沿革]
○松本城周辺の都市計画街路拡幅事業に関連して松本カトリック教会
 は、施設の再配置を計画し、旧司祭館の取り壊し予定したが、貴重
 な文化財の保存を決意、平成元年十月旧司祭館を市へ寄贈した。
○松本市は、この建物の文化財としての価値を認め、保存のための移
 転復原事業を進め、移転先を重要文化財・旧開智学校の在る開智公
 園に定め、平成二年十月解体工事着手、翌平成三年三月復原工事に
 入り、同年十月に竣工した。
○この移転復原事業に際し、平成元年十二月松本市芳野十九番四十八
 号所在のキッセイ薬品工業株式会社(代表取締役・神澤邦雄氏)から
 文化財存事業のためにと寄附金六、000万円が寄せられた。
○このほか、この復原事業に当たっては、大河直躬博士、百瀬常雄氏、
 カトリック教会横浜司教区等をはじめ、多くの関係者のご指導、ご
 尽力があったことにより進められた。

[概要]
○旧司祭館は、明治二十二年(一八八八)松本カトリック教会神父クレ
 マン(フランス人)により、旧藩政時の武家屋敷跡(松本市丸の内九
 晩三十二号)地に建築された西洋館で、アーリーアメリカン風の建
 築様式を伝え、各部屋には暖炉を配し、一・二階ともベランダを備
 え、外壁に下見板張りを施すなど、随所に西洋館の特徴を表してい
 る。

 一、建築年   明治二十二年(一八八九)
 一、建築面積  一階 一0二・六四㎡
         二階 一00・09㎡
 一、建築様式  アーリーアメリカン(コロニアル)風
         木造二階建て
 一、復原位置  松本市開智二丁目六番二十四号
 一、復原年月日 平成三年十月
 一、施工会社  株式会社ノグチ 協力会社[株式会社雲井]

■宮島耳鼻咽喉科医院
 
旧神戸医院と称し、1923年(大正12)年竣工。
 松本市城東2-1-4




■松本市下町会館
 松本市下町会館は、現在地の南隣に昭和初期に建てられもので、老朽化で解体を迫られていたがこれを曳家移転しファサード部を保存した。
 松本市大手4丁目8番11号



■ミドリ薬品
 
ミドリ薬品の建物は1927(昭和2)年に竣工した。
 松本市中央3-3-15





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