美歎水源地水道施設

 鳥取駅からバスで東に向かう。約25分で「因幡万葉歴史館入口」に到着。ここから美歎(みたに)堰堤までは徒歩で約30分。美歎部落の中を進んでいくと、最初に量水器室が目に入ります。すぐ横には正門やろ過池上屋が見えます。正門横に案内板があり、次のように書かれています。

 国指定重要文化財 旧美歎水源地水道施設
所在地 鳥取市国府町美歎
指定年月日 平成19年(2007)6月18日

 旧美歎水源地水道施設は、鳥取市民の飲料水の確保と公衆衛生の向上を主な目的に、鳥取市が建設した上水道施設です。山陰地方で最初に建設された近代水道施設であり、大正2年(1913)11月から工事にかかり、大正4年(1915)9月に給水を始めました。その建設には市の5年分の予算を費やしています。
 昭和53年(1978)に新たな水源地が建設されたことにより、その役目を終えましたが、大正昭和と半世紀以上にわたり、市民の生活を支え続けた重要な施設です。
 水源地には、貯水池、ろ過施設、量水施設など、取水、貯水、ろ過、量水、送水という一連の施設が良好な状態で保存されており、近代水道施設の構成を知る上で貴重なものです。昭和60年(1985)には「近代水道百選」に選ばれています。

 量水器室

正門 人道橋

ろ過池上屋(補修中だった)

ろ過池から堰堤までは5分ほどです。堰堤内の池の中央には取水塔があります。堰堤横の説明板には次のような説明がありました。

美歎水源地水道施設〜貯水池堰堤
 貯水池に水をためるために築かれた堰堤(ダム)で、大正11年(1922)に完成しました。貯水池側に設けられた取水塔(円筒形の張り出し部分)で必要な量の水を取り出し、地中に埋められた内径14インチ(約35cm)の鋳鉄管で下流にあるろ過池へ流していました。
 美歎水源地の堰堤は、当初、土でできた堰堤として大正4年(1915)に建設されています。この土堰堤は3年後の大正7年(1918)の豪雨で決壊し、水源地をはじめ下流の美歎集落などへ大きな被害をもたらしました。この災害を教訓に、当時のダム建設の第一人者で、布引水源地五本松堰堤(神戸市)などを設計した差の藤次郎の指導を得て、翌年水源地の復旧・改修工事が開始され、石張のコンクリート造で新たに建設されたものです。なお、貯水池の中に残るレンガ造りの円筒は土堰堤当時の取水塔です。
 この施設は、昭和53年(1978)に役目を終えましたが、平成11年(1999)、砂防ダムに改造されて、現在に至っています。

*貯水池堰堤の概要
越流型重力式コンクリート造
玄武岩石張
堰長約103m 堰高約27m※
満水面積約82600立方メートル
貯水量約528000立方メートル
流出量毎秒56立方メートル
 ※堤高・・・地中基礎部から頂上部までの高さ
平成22年1月
鳥取市教育委員会
 

堰堤下流 堰堤上流

取水塔 堰堤下流


◆所在地:鳥取市国府町美歎

◆交通:JR鳥取駅下車、日の丸・中河原・雨滝行きバスに乗車
     「因幡万葉歴史館入口」下車、徒歩約30分



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