諸戸水道貯水池遺構 update:2018/05/03 |
諸戸水道は明治後期に諸戸静六によって敷設された上水道である。「諸戸水道貯水池遺構」は、この水道の貯水池として1904(明治37)年に作られた。水道は桑名市とその周辺の地域に供給された。
隣接する公園から全体をのぞむことができる。説明板もある。以下に内容を記す。
諸戸水道
諸戸水道の成り立ち
桑名は、木曽三川(揖斐・長良・木曽川)の河口部に泥砂が堆積してできた低湿地であったため、昔から井戸水に海水や不純物が混ざり、飲み水に適していませんでした。そのため、寛永3年(1626)、桑名藩主松平定行は、町屋川の水を引き「町屋御用水」を作りました。しかし幕末になると人口増加や施設の老朽化などにより、土砂、汚物などが流入し汚染が広がりました。明治時代にはコレラなどの伝染病が蔓延し大きな被害が発生しました。衛生的な飲み水を求める桑名町民にとって、近代的な上水道の建設は切実な願いでした。
そのような時、桑名の豪商、初代諸戸静六によって計画され、明治37年(1904)に竣工したのが諸戸水道です。これは軍用水道を除く近代的な上水道としては全国で7番目に完成したものです。
静六はまず、明治34年(1901)、東方丘陵地周辺の地下水を集水管で水源井に集め、自宅までの2.3kmに鉄管を引き自家用の水道を完成させました。余った水は無償で人々に提供しました。
自家用水道の成功を得た静六は、次に本格的な水道建設に取り組みました。
町民の使用に必要な水量を得るため、試掘を繰り返し、より多くの水源を獲得することができました。
貯水池はその地下水を貯水するため、東方の丘陵(標高18.7m)の東斜面を削った平地に建設されました。貯水池に貯められた地下水は延長14kmにおよぶ給水管と55ヵ所の共用栓、24ヵ所の消火栓によおって、桑名超・赤須賀村の全部と益生村・大山田村の一部(現在の桑名市内)の人々が無償で利用できるようになりました。
水道は静六没(明治39年・1906)後の対象13年(1924)に諸戸家より桑名町に寄付され、新しい水道が完成する昭和4年(1929)まで公共上水道としての役割を果たしました。
文化財としての「諸戸水道貯水池遺構」
明治時代における「個人による公共上水道の設置」という全国に誇れる事業であり、桑名の近代化を示す重要な遺構であることから、平成20年3月19日に三重県指定文化財に指定されました。
市内に残る諸戸水道関連遺構
●水源井
自家用水道のための貯水池。【大字矢田字小野山183-1】
●給水塔(国・名勝指定)
諸戸氏庭園の西にあり、水源井から引いた地下水を貯めて、諸戸家の飲み水や庭の噴水などに使用。【大字桑名字太一丸687-5】
●赤須賀石碑
赤須賀村野人々から静六への官舎の碑。【大字赤須賀1817-1】
貯水池の概要
所在地:大字東方字上之越1514
規 模:東西約13.4m、南北約23.2mの長方形、深さ約3.6m。
構 造:側面コンクリート造、内部煉瓦積、底面コンクリート造。
容 量:953立方メートル
湧水量:約900立方メートル/日
取水方式:自然流下
貯水池上屋:木造瓦葺平屋建 建築面積約310㎡
桑名市教育委員会 平成21年3月 |
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◆場所:三重県桑名市大字東方字上之越
◆交通:三岐鉄道北勢線「馬道」駅下車、北に約10分歩く。
または「桑名」駅より「ネオポリス」「大山田団地」行きバスで「桑名高校前」下車
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写真は2018年5月撮影のもの |
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