ミュンヘンの建造物
ミュンヘンの建造物について紹介する。
このページで使用した写真は、2015年8月に撮影したものである。
■Bayerischer Verfassungsgerichtshof |
バイエルン憲法裁判所は1946年12月に設立された。その前身は1850年3月に設立されたバイエルン州裁判所である。
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■Landgericht München I |
ミュンヘン第一地方裁判所は、1890年~1897年に建築家フリードリヒ・フォン・ティールシュFriedrich Maximilian Thierschにより設計された建物である。
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■Michaelskirche |
ミヒャエル教会は、大きな丸天井を持つルネサンス様式の教会で、1583~1597年に建造された。
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■Deutsches Jagd-und Fischereimuseum |
ドイツ狩猟漁猟博物館の建物は、元々はアウグスティニアン教会(Augustinerkirche)であった。教会は13世紀にゴシック様式で建てられたが、1618~21年にVeit Schmidtの手によりバロック様式に改造された。1803年に修道院が解散し、建物は献納された。狩猟博物館となったのは1966年11月のことである。入口のイノシシの像がユーモラスである。
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■Frauenkirche |
フラウエン教会(聖母教会ともいう)は、1648~1488年に建造された教会である。正面の2つの塔があり、その後ろに、赤い屋根の長い建物が続く。塔の高さは約100m。
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■Neues Rathaus |
Neues Rathaus(新市庁舎)は、1867~1909年に建造された。マリエン広場Marienplatzの北に建つ建物の中央には、仕掛け時計Glockenspielがある。
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■Heiliggeistkirche |
Heiliggeistkirche(聖霊教会)は、1724~1730年に改修された。第二次世界大戦時に深刻な被害を受け、戦後大規模な修復と再建が行われた。
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■Peterskirche |
Peterskirche(ペーター教会)は、日本では聖ペテロ教会の名の方が知られているだろう。ミュンヘンが市になる以前からあったという最も古い教会である。12世紀末に、ロマネスク様式の新しい教会が建てられた。高さ91mの尖塔は17世紀初頭の建造である。この教会も第二次世界大戦時に大きな被害を受けた。
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■Bayerische Staatsoper |
1811年に、Carl von Fischerの設計により国立劇場として開場するが、1823年1月に 火災で焼失。1825年に、Leo von Klenzeの設計による国立劇場として再開する。
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■Residentz |
バイエルン王家、ヴィッテルスバッハ(Wittelsbach)家の本宮殿。1385年から建造が始まり、度重なる増改築が行われた。1918年の王政崩壊後に博物館として開館した。 |
■Feldherrnhalle |
フェルトヘルンハレは「将軍廟」と訳される。建築されたのは1841~1844年にかけて、設計はFriedrich von Gärtner。
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■Altes Rathaus |
旧市庁舎。1470~1475年にかけて建てられ、1874年までミュンヘン市政場であった。第二次大戦で被害を受け、1953~1958年に旧市庁舎のホールビルが再建され、1971~1974年に高さ56mの旧市庁舎タワーが再建された。
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■Siegestor |
Siegestorは、戦勝門といわれ、1815年のバイエルン解放戦争での勝利を記念して,ルートヴィヒ1世の命により1852年に造られた。 |
■Bayerisches Nationalmuseum |
博物館は1855年にマクシミリアンⅡ世によって創設された。建物は1900年に完成した。
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■St. Lukas |
聖路加教会は、南ドイツで最大のプロテスタント教会である。Albert Schmidtにより設計され、1893~96年に建てられた。
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■Schloss Nymphenburg |
Nymphenburgは妖精の城という意味で、バイエルン選帝侯Ferdinand Mariaがその妻であるHenriette Adelaideのために造営した別荘が始まりである。設計はイタリア人建築家Agostino Barelliで、中央の建物は1675年に完成した。その後、19世紀半ばまで増改築が行われた。戦争の被害を受けていない。
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