新逢坂山トンネル   update:2020/04/24

 京都~大津間の最初の路線は、京都を出て南下し、稲荷、勧修寺、大谷を経て大津に至る。このルートは25‰(パーミル)の急勾配が連続し、輸送上のネックとなっていた。そこで新ルートが検討され、東山トンネル、山科、新逢坂山トンネルを通るルートが決定された。

 トンネルは、地質が良好でないことから単線並列とされ、1914(大正3)年より工事が始まり1919(大正8)年竣工した。長さは2326m。

 トンネルの山科側(西側)は、大津市茶戸町の道路より全体を見ることができる。左側には「其益无方」の扁額が、右側には「夷険泰否」の扁額がある。いずれも鉄道院副総裁古川阪次郎によるものである。

西側口(道路より撮影)

 

 トンネルの大津側(東側)は、入口の直前に京津電車の蝉丸跨線橋(煉瓦橋)があり、見学可能な場所がない。京津電車の車窓あるいは、JR琵琶湖線の車窓から瞬間的に見る以外はない。右側には「一串無碍」の扁額が、左側には「中正以通」の扁額が掲げられている。いずれも鉄道院総裁添田寿一によるものである。
東側口(京津電車車窓より撮影)

 

■新逢坂山トンネル
■東口(大津側):大津市逢坂2丁目
■西側(山科側):大津市茶戸町

(参考)「わが国における鉄道トンネルの沿革と現状(第3報)-旧・官設鉄道長浜~神戸間をめぐって-」小野田滋ほか、『土木史研究』第10号、1990.6


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