小田井用水の渡井 |
小田井用水は、和歌山県紀の川の北岸の河岸段丘を流れる用水で、1707年(宝永4年)5代目藩主の徳川吉宗の命により、大畑才蔵という人が指揮をとって開削しました。この用水は紀の川に平行して、北岸の等高線を巡るように開削されたため、途中でいくつもの河川と交差します。それを、渡井(水路橋)や伏越(サイホン)による立体交差で解決しています。用水は、橋本市、かつらぎ町、紀の川市、岩出市を通る延長約30kmにおよぶもので、この用水により1000haをこえる水田が生まれました。
東から西を見る 西から東を見る
最初に、「中谷川サイフォン」をめざします。JR和歌山線「中飯降」(なかいぶり)駅で下車、昔からの集落の中を通っていくと小田井用水にぶつかります。これに沿って東に進むと、「中谷川サイフォン」があります。中谷川の両岸で用水がとぎれたようになっている場所です。訪問時は冬のためか水がほとんどありませんでした。他の季節なら水も豊富なのかもしれません。竣工は1911(明治44)年、長さ約15m、幅5mの煉瓦造り。
遠景 河原より
橋の上部
次は、JR和歌山線「笠田」(かせだ)駅から近い「小庭谷川渡井」です。駅から15分ほど西に歩くとあります。「小庭谷川渡井」は、堂田川にかかる水路橋で、長さ9.3m、幅7.4mの煉瓦造りのアーチ橋です。1909(明治42)竣工。
河原から 扁額
橋の上部 煉瓦の斜め積み
三番目は、小田井用水の中でもっとも有名な「龍之渡井」(たつのとい)です。JR和歌山線「西笠田」(にしかせだ)駅から20分ほど歩きます。道が穴伏川に近づくと、突然景色が開け、「龍之渡井」があらわれます。ここにはベンチのある「ひろば」ができ、説明の掲示板も2種類あるなど、整備に力を入れていることがわかります。説明文の内容は以下の通り(一部省略)。
「龍之渡井」 穴伏川を渡る小田井用水・水路橋「龍之渡井」は当初、木製橋でしたが、1919(大正8)年にレンガ7枚厚のアーチは段状に迫り出した造りで、アーチ上部の外壁は石積で築きその上にフランス積みのレンガを立ち上げる独特の構造のアーチ橋に改修されました。2006(平成18)年度には登録有形文化財(文化庁)となっています。 かつらぎ町高田地区を流れる小田井用水は、かつては背ノ山の南側の山裾を回り込んで龍之渡井に至るルートでした。当時の水路は、紀の川最狭隘部北岸の断崖にあり水漏れが激しく、流末の根来(岩出市)まで用水が達しない事態がたびたびおきました。この抜本的対策として、1965(昭和40)年に背の山隧道(延長886.4m)が完成し、現ルートに変更しました。この旧水路を伝承するため、背ノ山の用水路に「才蔵堀跡」の碑が建てられています。 この「龍之渡井憩いの広場」は、龍之渡井のすぐ北東側から豪快に『水徳無盡』(隧道銘板)に吹き出す「利水・小田井」の逞しさと「アーチ橋・龍之渡井」の美しさに感動し、先人の偉大な遺徳に感謝の気持ちを新たにする場と言えます。 龍之渡井改修前(大正7年) 龍之渡井改修後(大正8年) |