六樋 |
武庫川の水を灌漑用水として利用するために作られた武庫川水系の六樋は、野間井、百間樋井、主嶋井、武庫井、水堂井、守部井の6つをもって六樋という。 1953(昭和28)年に復旧工事が行われた。(詳しくは以下の「由来」を参照)
私は阪急電車「甲東園駅」から歩いたが、約40分かかった。調べてみたところ、六樋の近くにある「宮ノ北団地」行きのバスが阪急電車「武庫之荘駅」から出ている。これならばバス乗車が20分ほど、下車してから六樋までは5分ほどである。
六樋 用水路
額には6つの井の名前が見える
「由来」の碑
六樋の由来 武庫川水系六樋を構成した各井組は中世末期か近世初期の創設とみられる。野間井と対岸百間樋井分水争論は慶長16年(1611)片桐旦元が裁断をしている。主嶋井の井親争論、武庫井の正徳2年(1712)大洪水田畑流失による水利再配分争論、水堂井、守部井の件及び大嶋井にあてられた天正14年(1586)増田長盛の条書等かずかずの史実が残されている。 武庫川大改修を契機として昭和3年(1928)兵庫県武庫川六樋合併普通水利組合が発足、昭和27年尼崎市に移管された。 六樋は、昭和28年災害で根本的に復旧工事をしている。千刈放流によって旱魃を解消、余水は工業用水に活用、又宝塚市し尿処理場反対運動により、武庫川流域公共下水道事業を実現させる等、住民福祉に大きく貢献した。 私たちの先祖は命の限り六樋を守りつづけてきた。1200ヘクタールを灌漑した六樋も都市化の進行により193ヘクタールとなった。この度六樋合併五〇周年を記念し碑を建て祖先の遺徳を顕彰する。 昭和33年11月23日 |