酒津15連樋門 |
高梁川の度重なる洪水被害に対し、明治政府は高梁川の改修工事を1906(明治39)年に決定した。以後、国家プロジェクトとして工事が行われ1925(大正14)年に完成した。当時、高梁川の水は12の用水で農業用水として活用されていたが、改修工事に伴い、これをまとめ酒津で一括管理することとした。これが高梁川東西用水の酒津取水樋門と南北の配水樋門である。南配水樋門は15連、北配水樋門は6連の樋門である。また、配水池南側にある洋館は1926(大正15)年に建てられた高梁川東西用水組合事務所である。
南配水樋門
南排水樋門を配水池よりみる
竣工記念碑 組合事務所
取水樋門 取水樋門(高梁川側)
笠井堰
北配水樋門(配水池側) 北配水樋門