佐世保市の近代建築と産業遺産   update:2019/08/23

■市民文化ホール(旧佐世保鎮守府凱旋記念館)

 第一次世界大戦に参加した佐世保鎮守府所属の艦隊の活躍を記念して建設された。1923(大正12)年竣工。

 


説明板には以下のような記述がある。
旧佐世保鎮守府凱旋記念館(佐世保市民文化ホール)
 大正3年(1914)に勃発した第一次世界大戦において、日本は連合国側に参戦した。大戦後半、佐世保鎮守府の所属艦艇を中心に第二特務艦隊が編成され、地中海において潜水艦からの護衛という前例のない任務に就いた。日本艦隊の献身的な護衛活動は高く評価され、イギリス国王から勲章を授与されるほどだった。この活躍を記念し、凱旋記念館の建設が企画された。のちに旧制西海中学校(現西海学園高等学校)を創立する菅沼周次郎が建設委員長を務め、建設費は鎮守府管下各県からの寄付金で賄われた。記念館にふさわしく装飾性に富んだ建物であり、海軍の催事などに使用された。
 平成29年(2017)3月31日 佐世保市教育委員会

■旧佐世保橋(一部を浜田公園に移設)





説明板には以下のような記述がある。
佐世保橋の歴史
 佐世保橋は、かつて軍港佐世保を代表する橋として「海軍橋」の名で親しまれた橋である。
 明治19年に海軍鎮守府の建設工事が始まり、海軍構内と市街地とを結ぶために架けられたこの橋は、最初木橋であったが豪雨により流失し、明治39年に我国で二番目の鉄筋コンクリート橋として架替えられた。
 その後、昭和13年に拡幅整備され、さらに昭和60年の現橋架替までおよそ80年戦前、戦後を通じて市民、また佐世保にゆかりのある人々の喜びと悲しみの歴史が刻みこまれている橋である。
 この記念碑は、現橋の完成を記念して旧佐世保海軍工廠時代より歴史的にかかわりの深いSSKが、旧橋の親柱及び高欄の一部を復元し寄贈するものです。
 昭和61年3月 建立

■旧ジョスコー線橋梁跡
 
佐世保川に架かる平瀬橋に並行して鉄道の橋梁跡が残る。これはジョスコー線で使われていた橋梁跡である。ジョスコー線とは、1950年~1978年まで佐世保駅と現在の米軍基地内にある赤崎貯油所を結んでいた米軍の引き込み線である。ジョスコーは、Japan Oil Storage Co.の略である。



■米軍基地内に残るレンガ造倉庫群
 佐世保は、1889年(明治22年)7月に佐世保鎮守府が開庁したことから、海軍の施設が造られた。米軍基地や海上自衛隊基地内に多く残るレンガ造の倉庫群が当時の様子を伝える。

米軍基地内の倉庫

米軍基地内の倉庫

立神町の倉庫

立神町の倉庫

立神町の倉庫


<Back>
<Home>