千苅堰堤

大阪からJR宝塚線に乗り、「三田駅」の一つ手前「道場駅(どうじょう)」に降りる。駅前の駐車場を横切り、踏切を渡ると、もう田園風景がひろがる。JRに沿って、戻るようにしばらく歩くと、新しい千苅浄水場が見える。ここを左に折れて、波豆川に沿って北に向かうと、千苅浄水場にたどり着く。浄水場の門に年代を感じる。浄水場の脇を歩くと、千苅堰堤が現れる。JR道場駅から約30分の距離である。

P1020180.JPG (754862 バイト)千苅浄水場 P1020183.JPG (772212 バイト)浄水場からの排水溝

P1020187.JPG (741796 バイト) P1020184.JPG (744704 バイト)千苅堰堤と千苅橋

P1020190.JPG (729418 バイト) P1020192.JPG (732494 バイト)

P1020196.JPG (753006 バイト)ダムの上部 P1020197.JPG (747007 バイト)ダム湖

P1020202.JPG (754422 バイト)波豆川の右岸にあった通気口? P1020185.JPG (755085 バイト)ダムの左側にあるトンネル?

P1020178.JPG (763800 バイト) P1020203.JPG (741721 バイト)新しい千苅浄水場

堰堤に向かって左側の階段を上っていくと、ダムの上部に工事記念碑がある。
千苅堰堤は、神戸市の水道供給のためにつくられた重力式のダムで、1914(大正3)年に着工し、1919(大正8)年に竣工した。1929(昭和4)年から1931(昭和6)年にかけて、ダムの高さを6m高くし、貯水容量を増加させる工事が行われた。ダムには羽束川と波豆川という2つの川が流れ込んでおり、ダム湖は神戸市北区、三田市、宝塚市の3つの自治体にまたがっている。

堰堤の下には次のような説明文がある。

  千苅貯水池
千苅貯水池はえん堤は、神戸市民の水を確保するために、大正3年(1914年)から大正8年(1919年)にかけて建設された水道専用の重力式コンクリートダムで昭和4年(1929年)から昭和6年(1931年)にダムの高さを6m高くする工事が行われました。

千苅貯水池には、羽束川と波豆川という2つの川から水が入ってきますので、三田市、宝塚市と協力して、きれいな水を守るように努力しています。

貯水池の水は千苅浄水場で飲み水になり北区のみなさんの家庭に届けられるとともに、上ヶ原浄水場へも送られ水道水となり、市街地の家庭に配られています。

きれいな水を守るため、ゴミを捨てたり、魚釣りなどをしないようにしましょう。

    あらまし
ダムの名称:千苅えん堤(重力式コンクリートダム)
ダムの目的:水道用
所在地:神戸市北区道場町生野
ダムの高さ:42.4メートル
ダムの長さ:106.6メートル
貯水量:11,612.538立方メートル
  (市役所新庁舎 約61ぱい)
最大水深:35メートル
貯水池の周囲:23キロメートル

P1020195.JPG (730972 バイト) P1020194.JPG (716348 バイト)工事記念碑

工事記念碑の上部には神戸市のマークと次のような揮毫がある。その下に英文と日本文の碑文がある。

人助天 大正七年 天長■節 新■題」(■は判読できず)
KOBE CITY
WATER WORKS EXTENSION
SENGARI RESERVOIR
COMMENCEMENT : JUNE 1914.
COMPLETION : DEC. 1918.
MAYOR : MR.F.KASHIMA.
ENGINEER IN CHIEF :DR.T.SANO.
ASSCC.MEM.INST.C.E.
DIVISION ENGINEER :MR.C.ASAMI.
DO. :MR.H.MIZUNO.
EXECUTIVE ENGINEER:MR.S.TOMONAGA.
神戸市第二回水道拡張工事中
昭和四年四月ヨリ同六年三月
ノ間ニ本堰堤ヲ貳拾尺嵩上シ
貯水池ノ容積ヲ倍加シテ四億
貳千万立方尺トシ堤高百四拾
尺堤長三百五拾貳尺満水面海
抜五百八拾三尺五寸トス
  市長 従四位勲四等  黒瀬弘志
  助役 従五位     梅津芳三
  助役 従七位     渡邊静沖
  助役 正五位     杉野 繁
  顧問 工學博士   佐野藤次郎
  水道課長主事    關源三郎
  拡張工事主任技師 植村倉藏
  技師          兒島勝巳

  


◆所在地:神戸市北区道場町生野

◆交通機関:JR宝塚線「道場駅」下車、2.1km(徒歩30分)

 (古い千苅浄水場前に駐車場あり、そこからなら徒歩10分)


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