志木・川越の煉瓦樋門 |
埼玉県では、度重なる洪水対策や、低湿地の排水対策などのために、以前から多くの樋門等があった。明治期になって木製の樋門の代わりに煉瓦造りの樋門が造られるようになった。これには地元深谷の日本煉瓦製造の設立で大量の煉瓦供給が可能になったことや、埼玉県が煉瓦樋門造りに支援をしていたことも大きい。明治中期から昭和初期までに多くの煉瓦樋門が造られ、現存数も日本最大である。
【志木市の煉瓦樋門】
@いろは樋の復元模型
新河岸かわに架けられた木製の水路橋で、長さは260mあったといわれている。市立いろは保育園脇に模型がある。
Aいろは樋の大桝(本町側)
1898(明治31)年〜1903(明治36)年に新河岸川の下を通る形に変更された。鉄製パイプの始点と終点に煉瓦造りの水槽が造られた。これが大桝である。
明治三十一年四月竣工の文字
Bいろは樋の大桝(中宗岡側)
使用されていた鉄パイプ
C北美圦樋
D大小合併門樋
同地に開化橋(むじな橋)[1898(明治31)年竣工]もある。
E籠嶌樋管
石造りの樋門
F新田圦樋
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【川越市の煉瓦樋門】
G三軒家樋管
H笹原門樋
◆所在地 G三軒家樋管:川越市渋井 H笹原門樋:川越市古谷上 ◆交通:Gは、東武東上線「上福岡駅」下車、西武バス「大34」大宮駅西口行き乗車、 「福岡高校入口」下車、徒歩5分(バスの本数が少ない) Hは東武東上線「川越駅」下車、東武バス「川越06」川越運動公園行き乗車、 「川越運動公園」下車、徒歩10分(公園まで行くバスは少ない、埼玉医大までの バスは多いので、そこまで乗車して歩く。徒歩25分) |