公園入口
秦野市の曽屋水道記念公園は、1890(明治23)年3月に給水を始めた曽屋水道の旧曽屋配水場跡を活用した公園である。曽屋配水場は1983(昭和58)年に閉鎖となり、1990(平成2)年に公園として整備された。
この水道は、横浜・函館に次ぐ日本で3番目に開設された水道施設であるという。公園内には、明治期の沈殿池、大正期の排水池・ポンプ室(大正14年11月)、昭和期の排水池(昭和35年9月)などがある。入口横にゐのくちポンプ(大正15年:荏原製作所製)とそれを駆動した電動機が展示されている。2017(平成29)年10月に国指定登録記念物(遺跡関係)に指定、2020(令和2)年11月に土木学会推奨土木遺産に認定された。
公園の北側には、水源地となった曽屋神社があり、付近にロ号水源開口部(明治21年)、ハ号水源開口部(大正3年)がある。
秦野市の水道の創設について記述された説明板には以下のように書かれている。
秦野水道の創設
秦野市の水道は明治23年に当時の曽屋村を舞台に誕生しました。それ以前人々は曽屋神社及び乳牛水神社の清水を用水路に流し、飲用や洗い物などに使用していました。しかし、人口の増加に伴い、源泉付近では「清麗珠の如き水」も下流に従い混濁し、また、降雨の際は路上の泥砂塵が用水路に流入して飲用することは非常に困難になり、さらに明治12年8月にはこの用水路を介してコレラが発生し、81人もの患者がで、25人もの犠牲者を出しました。これを契機に識者の間で飲料水改良の対策が検討され、『簡易陶管ヲ使用シテ水道ヲ敷設シタルハ曽屋水道ヲ以テ嚆矢トナス』と決意を示し、明治20年3月に水道工事委員37名の連署をもって、県へ飲料水改良に関する工事設計を出願し、また、明治21年3月に「水道布設工事監督願」と「曽屋村水道工事規約及び議事規則」の認可を申請し、同年4月に県の事業認可を得ました。その後同年9月に『衛生ノ道ヲ講スルト同時ニ土地繁栄ノ基ヲ為シ全国ニ自営ノ範ヲ示スベシ』という意志を宣明して更に水道工事申合規約を制定して、明治23年3月15日横浜・函館に次いで全国3番目に給水を開始しました。
給水区域 上曽屋・中曽屋・下曽屋・大道・乳牛・中宿・下宿・片町・池ノ島・台町
給水人口 4010人
給水戸数 802戸
配水管 愛知県常滑製内径3寸(9センチメートル)
延長 1里9町4間(4916メートル)
水源 曽屋神社に湧出する2個の清泉を使用
浄水工場 位置は現在の曽屋配水場
面積 500坪(1650平方メートル)
形状 沈澄池・濾過池・貯水池の3池からなる。
専用栓 50口(使用料年額1円)
共用栓 50口 30間(55メートル)ごとに設置
事業費 11,365円 |
大正期の配水池
昭和期の配水池
大正期のポンプ室
記念碑
ゐのくち式ポンプ
■所在地:秦野市水神町9-23
■開場時間:24H
■交通:小田急線「秦野」駅下車、神奈中バス【秦50】【秦51】【秦54】「渋沢駅北口行き」で約10分、「宮前」下車、すぐ。 |
|