高屏旧鉄橋   update:2017/03/18

 高屏旧鉄橋は高雄市大樹区九曲堂駅と屏東市六塊厝駅の間にあるトラス構造の鉄橋である。旧名は下淡水渓鉄橋といい、1904年日本政府は米や砂糖等物資の運動のためにこの鉄橋の建設を計画した。加えて屏東糖廠が完成し、高雄港と屏東の鉄道の計画が建てられ、1906年初めに建設が始まり、8年の月日を費やし1913年末に完成した。単軌鉄道、全長1526m、幅7.6m、24スパン鋼製で、当時アジアで最長の鉄橋といわれた。
 1987年台鉄は新鉄橋を建設後旧鉄橋に身を引かせることとし、また1997年、内政部は二級古蹟に指定した。これは鉄道用橋梁として台湾唯一の二級古蹟である。
 2005年7月の台風により3つの橋台と4つの橋拱が流され、2006年6月の豪雨と2009年の八八水害でも橋拱が壊れた。
 2014年9月には旧鉄橋の天空歩道が完成し、観光客が旧鉄橋の歴史を肌で感じ、美しい湿地を眼下に見ることができるようになった。
(現地の説明板を筆者が訳出)

 鉄橋の付近は「旧鉄橋湿地教育園区」として整備され、戸外学習の場として使用されている。(下記Web参照)
 鉄橋へのルートは、九曲堂駅東側にある地下道を通り、東へ、大樹国中学角を南へ、大きな道路(台21省道)をわたり、ななめに南西方向に行く道をはいってすぐのところに細い山道のような道がある。この道が湿地教育園区に通ずる。東に歩けば鉄橋に至る。
高屏旧鉄橋

途中が途切れているのが見える(流された)

橋脚部

 鉄橋の上を歩くことができる(開放時間:9:00~18:00)

飯田豊二紀念碑

九曲堂駅前の道を右に歩くとまもなく「飯田豊二紀念碑」がある。飯田豊二は、下淡水渓鉄橋の建設を指導した技術者で、病気のため鉄橋の完成を見ることなく没した。「紀念碑」には次のような文が、中国語、英語、日本語で書かれている。日本語部分のみを以下に紹介する。
飯田豊二記念碑
 飯田豊二氏・日本静岡県出身。1897年(明治30年)に台湾に渡り、阿里山の高山鉄道建設に参加し、その功績により技師に昇格しました。1912年(大正元年)飯田技師は九曲堂派出所の主任に就任し、下淡水渓の鉄橋工事を担当しましたが、煩雑な工事の為過労から病気となり、1913年(大正2年)に台南病院で亡くなりました。享年40歳の若さでした。
 台湾総督府鉄道部の小山三郎技師とその友人たちは、飯田氏の業績を讃える為、九曲堂駅北側の下淡水渓鉄橋を見下ろせる場所を選んで、記念碑を建てました。1997年4月、この記念碑と下淡水渓鉄橋は内政部により台湾の二級古蹟に指定され、台湾における数少ない日本人技師を讃える古蹟のひとつとなっています。
屏東県政府製
 


★飯田豊二紀念碑
■所在地:中華民国高雄市九堂路鉄路巷15号
■交通:「九曲堂」駅より東へ徒歩1分
■参観自由

★高屏旧鉄橋
■所在地:中華民国高雄市大樹区竹寮路109号
■交通:「九曲堂」駅より徒歩15分
■鉄橋上を歩く場合は、9:00~18:00、外観見学は自由

■参考:http://www.oldbridge.org.tw/

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