台湾煉瓦株式会社打狗工場   update:2017/03/18

 1899(明治32)年、日本人の鮫島廣は三塊厝地区に3基の伝統的な「目仔窯」を持つ鮫島煉瓦工場を築いた。1913年、台湾経済が発展し、各地で建築ブームが起こると、赤煉瓦の需要は増大した。後宮信太郎が台北に台湾煉瓦株式会社を設立し、各地に工場を造った。台湾煉瓦打狗工場は鮫島煉瓦工場を併合し、市場要求に応えた。日本統治末期には、工場内には1基の「蒸籠窯」、6基のホフマン窯を備えた。この窯は高い生産能力を持つ設備で、当時の南台湾地方の重要な建築物に多くの赤煉瓦を供給した。
 戦後、1957年に唐栄煉瓦製造所となり、1985年に操業を停止した。
 赤煉瓦事務所は、1913年に建設され、その後修復が行われたが、公開されていない。
(現地説明板やHPの説明を訳出したものを示した。)

 煉瓦窯工場は修復中のようであった。付近は広場になっているが、草原(くさはら)のような未整備ところが数多く残り、今後大きく変わるものと期待される。
煉瓦窯工場 煙突

倒炎式窯

上記窯の側面

上記窯の内部

工場内部 遠景

赤煉瓦事務所

■所在地:中華民国高雄市三民区中華横路220号
■入館不可、外観のみ。
■交通:高雄駅より紅27「中都」行きバスに乗車、
 「中都街」下車、すぐ。
■参考:http://heritage.khcc.gov.tw/Heritage.aspx

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